■2023-08-01-Tuesday さぁ8月だ!
今年の8月は超忙しい!
最後のご奉公と思ってやりこなすしかないだろうなぁ~。
身体も気力も若い時みたいに溢れてこない。
とにかくポカをやらないように毎日のスケジュールと、やらなければならないことをしっかり頭の中に入れてから一日の活動を開始しよう。
なにせ、数分前に考えていたことを、3歩歩くと忘れてしまう鳥頭になってしまった。
ここ数日の猛暑日で頭がボ~ッとしているみたいだ。
テレビのニュース解説では、人間の脳みそは考えると熱を発するらしい。考えることはかなりエネルギーを消費して発熱するのだそうだ。だから冷却しなければならないのだという。
頭寒足熱とか言っていたが、頭を冷やして足は温めたら良いのだという。
暑いと食欲も湧かないから、痩せるのかと思っていたら、7月は体重が増えてしまった。何故なんだろう。きっとアイスクリームの食べ過ぎなのかもしれないなぁ~。
■2023-08-06-Sunday ゴルフ
今日は帯広青年会議所のゴルフ
じゃがいもクラブのコンペが芽室町の帯広カントリークラブで開催された。ゴルフをやるのは7月中旬以来20日振りである。
忘れない様に、家のカレンダーと、自分の手帳にスケジュールを書き込んでいるのだが・・・
手帳には8:12スタートとちゃんと書いてあるのに・・・。手帳からカレンダーに書き写す際に何を間違ったのか6:00スタートと書き込んでしまったようなのである。随分と早いスタート時間だなぁ~と思ったのだが、遅刻してはいけないと思い5:30に自宅を出た。
6:00にゴルフ場に到着したのであるが、まだフロントの準備すら出来ていない。そうだよなぁ~、何か変だなぁ~と思ったのであったが・・・、そこでようやく、どうやら時間を間違えたらしいぞと気が付いた。
フロントの係員に聞いたら「じゃがいもは8:12スタートですよ」と言う。
今から往復1時間も掛けて、一度自宅に戻ってもすることないしなぁ~。ゴルフ場の近くにはコンビニも無いし・・・。しばらく車の中で寝ていたのであった。
40分間くらい寝ていたが、せっかく早くきたから練習でもやるかと思い立った。
受付を済ませるとスコアカードホルダーの番号が、私の車のナンバープレートの番号と偶然にも同じ番号であった。こんな些細な事も、何だか少し気分が良くなった。
普段はまったく練習なんてしないのであるが、あまりにも時間が余っているので打ちっ放しで3カゴ分も打って、パットの練習までやって時間を潰したのであった。
さて、ゴルフ場であるが、ここ数日間の猛暑で芝が枯れてしまっている。
水くらい撒けばよいのに・・・
芝が禿ちょろりんだし、ラフに入ると芝は長く伸びていてボールが見えなくなるし、キャディさんは付いていないし・・・
このコースはアップダウンが激しくていつも足が攣ってしまうコースであるが、キャディ無しでカートに乗ってプレーしたから、足は楽であったが・・・。スコアはアウト46、イン47の93打であった。
自分としては全然満足できないスコアであったが、ゴルフ場のコンディションが悪かったせいなのだろうか皆のスコアも良くなかったようで6位に入賞したのであった。
表彰式が開催されるレストランで「ワンドリンクサービス券」が5枚手元にあったので何か飲もうとウェイトレスに差し出したら「有効期限7月末迄」と小さな文字で書いてあることを指摘された。
ゴルフ場は10月末まではやっているのだから、7月末までの期限はないだろうに・・・。
結局今年は5枚とも使わずに終わってしまったのであった。
何だか変な気分がしたゴルフであった。
■2023-08-07-Monday 雷雨
ゴルフの18番ホールをプレー中に雨が降り出した。
ゴルフ場の名称が「嵐山カントリー」と云うくらいであるから、ここは天気が安定しない場所なのであろう。
帯広の自宅に戻る頃には雨が小降りになっていたのだが・・・
夜になって雷の稲光がピカッと光り、グォ~と云う雷鳴が何度も聞こえてきた。その度毎に愛犬が吠える。
以前に飼っていたラブラドールレトリバーも雷を怖がって鳴いたり唸ったりしていたが、トイプードルも同じ様に雷に対して吠えるのだなぁ~。
ワンワンとうるさくてテレビの音声が聞き取れないほど吠え続ける。
雷はこんなに長く続くのかと思うほど夜中に寝るまで続いていた。ゴルフで疲れたせいであろうバタンキューで寝た後の事は分からないが、朝方5時に目が覚めた時にも雷の音が響いていたから、夜の間中ず~っと雷が発生していたのであろうかなぁ~?
朝は雨が上がっていたが、犬が怖がるので散歩は止めにした。
出社したら、社員の自宅では停電があったと云う。短時間で復旧したらしいが、前日までの猛暑みたいに寝苦しい夜中に停電なんてしたら、寝ている間に熱中症になってしまうかもしれない。久し振りに涼しい夜で良かった。
久し振りのこの雨で農家もゴルフ場も助かったであろう。
天気予報の長期予報を見ると、どうやらこれから雨の日が続くらしい。
12日から始まる各種の祭りイベントや13日の花火大会や14・15日の平原まつりには晴天にならずとも雨は降らないでほしいなぁ~。
明日には大道芸実行委員会の最終打ち合わせ会議が開催される予定である。例年雨に祟られているから少し心配である。
■2023-08-09-Wednesday 古谷さん
NHKアナウンサーの古谷敏郎さんが私のオフィスを訪ねてくれた。
数年前までは札幌放送局勤務であったので、同じマジック愛好家として年に数回は会っていたのであるが、東京勤務になってからはメールでのやりとりだけになっていた。
去年、2022年10月17日に東京の如水会館で開催された「(世界一のマジシャン)島田晴夫師追悼会」に出席して以来の面と向かっての会談である。
2019年2月17~20日に島田晴夫師のロサンゼルスのご自宅に、古谷さんと私の二人で訪れたことがいまでも私のマジック人生の最大の幸福なひとときであった。
この時期は日本でのコロナ禍が起こる1年前であり、島田さんの体調が悪くなった2021年の前であったことが奇跡であると思っている。
コロナ禍になった2020年には海外旅行など出来なかったし、コロナが治まった今年では島田さんは鬼籍に入られてしまったわけであるから・・・。
ロサンゼルスではご自宅に泊めていただき、島田さんのお話しがタップリ聞けた。当時はとてもお元気で島田さんが運転されるジャガーであちらこちらに連れていって下さった。特に「マジック・キャッスル」でオーナーのミルト・ラーセン氏や世界的に有名なマジシャンらに「私のマジック道具を寄贈するミュージアムのオーナーだよ」とご紹介していただき嬉しくて大喜びしたことが昨日の様に思われる。
つい先日に島田夫人のキーリーさんからメールをいただいたばかりであったので、これも何かの縁であろうと感じた。
今回、古谷敏郎さんは、昨年3月に文藝春秋社から出版した「評伝 宮田輝」という先輩NHKアナウンサーの評伝をまとめた著書を持参してくれたのである。
その場で著作にサインをしてもらった。
島田さんの思い出話やマジックの話題で6時間ほども話込んでしまった。
やっぱり共通の趣味を持つ人との話は面白いなぁ~。
■2023-08-10-Thursday 大道芸フェス
さぁ今年も大道芸の季節がやって来た!
大道芸フェスティバルを帯広市の三大まつりの「平原まつり」のイベントのひとつとして2002年から参加し始めて今年で21年目になる。
マンネリ化したまつりに新鮮な空気を送り込みたいという目的で参加を決めたのであったが、問題は経費である。
お盆の期間の航空運賃には割引が無い。正規の金額のままなのである。
日本全国各地で活躍している一流の大道芸人たちを招聘しているのであるが、交通費、宿泊費が嵩むのである。
大勢呼べばフェスティバルは盛り上がるのは当たり前のことであるのだが、大勢招聘すればそれだけ経費も増大する。
各種の補助金を活用しながらなんとかやりくりしてきた。
交通費を浮かすアイデアとしては数年前から、お盆の高い航空運賃の日の移動を前後に外して、割引料金の有る日の移動にすれば良いのであるとの提案は出ていたのであるが・・・。
なにせ、全国各地のお祭りから引く手数多の一流芸人さんばかりを招聘しているから、仕事も無しに帯広でゆったりと遊んでもらうというわけにはいかない。夏は大道芸人さんにとっては稼ぎ時なのである。
帯広の平原まつりの日程は8月14・15日と曜日に関係なく固定されているから、この日以外に帯広市の近場で、大道芸の仕事を見つければ解決するのであるが、これがなかなかに難しいのである。
今年は、事前に各方面に働きかけて、12日には帯広ばんえい競馬場での「ばんえい夏まつり」への参加と、13日には上士幌町の「第50回北海道バルーンフェスティバル」の「とかち夏空大道芸ステージ」としての参加要請を獲得したのである。
例年よりも2~3日早めに帯広入りして演技してもらうことになったのだ。はたしてどのような展開になるのかやってみなければ分からない。
今年招聘した大道芸人さんは8組12名である。
お馴染みの「ファニーボーンズ」、「ダメじゃん小出」、「こ~すけ」、大道芸世界大会で2度のチャンピオンに輝いた「performer SYO!」、「りずむらいす」、そして中国雑技王こと「張 海倫」、初登場はヨーヨーの世界チャンピオンの「yo-yo Entertainer TOMMY」、国際サーカス学校出身の3人組のユニット「まるまるさんかく(由布直輝・吉川健斗・目黒宏二郎)である。
超一流の大道芸の世界チャンピオンばかりを集めた圧倒的なパフォーマンスを帯広市民に堪能してもらいたい。
■2023-08-11-Friday 大道芸人
明日12日には「ばんえい競馬場」で
イベントが開催されるが、そのイベントで大道芸人数人がパフォーマンスをすることになっている。
先発隊として今日11日にその出演者らが帯広入りをする。
大道芸の本番は14・15日の2日間であるが、その控室と本部を今日11日から坂本ビルの6階大ホールに設置しておく。
12日には「ばんえい競馬場」で、翌13日には上士幌町の「バル—フェス」で大道芸のパフォーマンスを披露することになっている。
その準備の為に、控室を今日から設置しておかなければならないのだ。
去年もこの6階の大ホールを使用したのだが、半分をパーテーションで仕切って芸人さんの控室とし、もう半分をスタッフらが使用する本部にする。
机と椅子以外にも、冷蔵庫、洗濯機、電子レンジなども設置する。
芸人さんらに冷たいドリンク類や、汗をふくタオル等を冷やすための冷蔵庫。
芸人さんの汗でビチャビチャになった衣装を洗濯する洗濯機。それを乾かす干し場やハンガー掛けも用意する。
弁当などを温める電子レンジなども設置する。
その他に、音響機器、照明機器、電気コードのドラム、台車7台、更には芸人さんの道具類なども置くスペースが必要なのである。
意外と広い空間が必要になるのだが、部屋を別べつにしてしまうと、芸人さんとスタッフのコミュニケーションが取りにくくなってしまうから、なるべくアットホーム的なつながりを持ちたいので、最初から広い場所を区切って本部兼控室にしているのである。
設置作業をしている内に、次々に芸人さんらが到着し始めた。
明日の朝は、8:00から特殊な「しゃぼん玉溶液」を作成したいと言う。
今年は、大きなシャボン玉が出来る特殊な溶液と道具を使って、子供達と触れ合う機会を作りたいと言う。これは楽しみである。
■2023-08-12-Saturday マジシャン
日本奇術協会主催のマジックショー
「奇術の世界 ファンタジーマジックショー in まくべつ」に10名のマジシャンが集まって、明日8月13日13:00から幕別町の幕別百年記念ホールで開催される。
私は日本奇術協会の賛助会員として長年協会に参加している。その関係で今回のショーの「地域コーディネーター」なる役職を仰せつかった。
協力の依頼をされた時に、開催日時を聞いて「ちょっと、その日は厳しいなぁ~、お盆期間中は、大道芸フェスティバルというイベントを20年以上も主催していて、私のビルがその本部になるので当日のお手伝いは難しい・・・」と伝えたのだが、日時の変更はもう出来ないとのことで、13日に開催することになったのである。
事前の準備段階では何とかコーディネーター役は出来るものの、今年の大道芸は12日から、他の「ばんえい競馬」や「上士幌町のバルーンフェス」への大道芸人の派遣などもあって、身体がいくつあっても足りない状況なのである。
今年は更に、東北に嫁いだ長女一家が4歳と2歳の孫と旦那を連れて一家4人で遊びに来るのである。
孫と会うのは久し振りだから孫とも遊びたいしなぁ・・・。
13日の公演本番には家族で鑑賞に行くことが何とか可能ではあるが、舞台のお手伝いは出来ないことは伝えてある。
その代わりと言ってはなんだが、12日夜に帯広入りしたら食事をご馳走しますからと伝えておいた。何が食べたいですか?と尋ねたら「ジンギスカン」との返事である。
マジシャンたちが宿泊するホテル近くの、大通り12丁目の「平和園本店」を20:00に予約しておいた。
マジシャンという職業は、私の師匠であった故ジミー忍もよく言っていたことだが「地方営業の時に、歌手は譜面と衣装だけ、落語家は着物と扇子だけ持って歩けば仕事が出来るが、マジシャンは大きな道具を沢山持って歩かなければならない。しかもその道具の組立、分解、運搬の苦労が多いのに・・・」とボヤいていたものだ。それくらい荷物が多い。
今回も、イリュージョンという部類の大掛かりなマジックを演目とするマジシャンたち4人はボンゴタイプの自動車2台に荷物を一杯に詰め込んでフェリーで苫小牧港に入り、運転して帯広に入ってくる。高速道路の道東道が深い霧のためと事故があったために渋滞が起きていて、帯広入りの予定時間がギリギリになった。
その他の6人のマジシャンたちは飛行機で羽田空港から帯広空港に飛んでくる予定であるが、こちらも霧のために帯広空港には着陸出来ないかもしれない、その場合は羽田空港に引き返しますとの機内アナウンスがあって真っ青になったとのことだが、かなり到着時間は遅れたが無事に帯広に到着したのであった。
先に到着していた4人のマジシャンと「先に食べているからね」と飛行機組に連絡して平和園本店で歓迎会を始めたのであった。
しかし、平和園本店は超満員である。店員の人手が足りないのか注文をしても一向に食べ物が届かないのである。
店に入って注文してから30分以上も待たされたのであった。
まぁ、この間に色々とマジックの話が出来て楽しかったのではあるけれども・・・
ようやく肉が出てきたところに飛行機組が到着したので、ほぼ同時に食べ始めることになったのであった。
マジシャン達は皆、美味しい、美味しいと喜んで食べてくれた。十勝の食べ物の自慢話をしている内にその流れから、明日のショーの前に楽屋を訪ねてお菓子の差し入れをすることになった。明日は六花亭と柳月に寄ってお菓子を購入してから会場入りである。
11時の閉店まで腹いっぱいに肉を食べてもらって、明日のマジックショーのエネルギーにしてもらいたい。
■2023-08-13-Sunday マジックショーと花火大会
今朝も8:00には坂本ビル6階大ホールの鍵を開けなければならない。
今日は13:00から幕別町の百年記念ホールでマジックショーが開催されるし、上士幌町では熱気球のおまつりが開催される会場で大道芸人たちのショーも行われる。
また、十勝毎日新聞社主催の花火大会の開催日でもあるし、更に言えば、娘の家族が里帰りしてくるのでそれを迎えに行かなければならないので、滅茶苦茶に忙しい日なのである。身体が3つくらい欲しい気分である。
まずは8:00前に出社して大道芸人さんの控室の開錠をして大道芸人を迎え入れる。
シャボン玉溶液の製作の準備を手伝ってから、六花亭と柳月に行ってマジシャンたちへのお菓子の差し入れを購入して、幕別百年記念ホールに向かう。百年記念ホールでは、マジシャン達が8:30から打ち合わせとセッティングを始めている。そこに合流して打ち合わせに参加して段取りを確認してから、一旦会社に戻るために、幕別百年記念ホールの外に出た途端にスコールの様な激しい雨が降ってきた。こりゃぁマズイぞ!
万が一でも、勝毎花火大会が雨で順延になったらば、全てのスケジュールが狂ってしまうからだ。
心配しながら帯広市内に戻ってきたらば雨が降っていない。帯広市と幕別町とは隣町なのに、こうも天気が違うものなのか!
しかし、天気はぐずついていて、雨が今にも降りそうな感じである。どうか降らないでほしい。
本部に戻って、後発グループの大道芸人さんらを迎え入れる。
昼に一旦帰宅して、妻と子供を連れて4名で百年記念ホールにマジックショーの鑑賞に行く。姉夫婦も観にきてくれた。
花火大会と日程が重なっているから集客が難しいことは最初から分かっていたので少しでも観客数を増やすためにあちらこちらに声掛けをしていたのである。
だから私が超忙しいとはいえども公演を観ないわけにはいかないのだ。
マジックショーはさすがプロマジシャンのショーである。構成がしっかりしており、演目も、技術を見せるスライハンドから、コメディ、和妻、ジャグリング、大掛かりなイリュージョンまで、とてもバラエティに富んでいて飽きさせない。観客も生のマジックを観ることで、テレビ画面で見るマジックとの違いを感じていたように思う。やっぱり演芸は生で観るに限る!
終演後に楽屋に行ってマジシャンたちに挨拶を済ませてから、すぐに会社に戻り、大道芸の本部に入る。
借りた洗濯機のホースのつなぎ目が合わないので、ハラデンキに行って延長ホースなどを買ってきて繋げた。
差し入れのドリンク類はすでに11日から皆が飲み始めているので、かなり少なくなってきたので買い足しに行く。以前は会社の近くにあったスーパーマーケットや藤丸デパートなどが街中から撤退してしまったので、この様な買い物にも困ってしまうようになった。
コンビニは近くにはたくさんあるのであるが、意外と品目や大きさの種類が少ないのである。
上士幌町から本部に戻ってくる大道芸人らを乗せた自動車が、花火大会の見物客の車による渋滞に巻き込まれて戻る時間が遅れている。
本部への無事の戻りを確認してから自宅に戻って、今度は娘夫婦のお迎えである。なんとも忙しない。
空は霧雨の様な細かい雨が舞っていたが、勝毎花火大会は予定通りに決行されたので一安心した。
4歳と2歳の孫も無事に到着したので更に一安心。
明日も超忙しい日が続く。
■2023-08-14-Monday とかち青空大道芸フェス1
さて、今日は「帯広平原まつり」の初日である。
一昨年までは14・15・16日の3日間に亘って開催されていたのであるが、メインイベントである盆踊りを15・16日の二日間やることに対して疑問の声が出ていたことによる1日短縮に去年から変更になったのである。
確かに、不景気で盆踊りへの参加企業数も少なくなり、同じ踊りを同じメンバーで2日間も踊るというのも、近年の傾向からすると「かったるい」のかもしれないなぁ~。
心配していた台風7号はどうやら日本海側の方に向かった様である。大道芸を演じるにあたっては、快晴で暑過ぎるのは演技者にとっても辛いし、観客も辛い。今日の帯広の最高気温は25℃くらいで曇り時々晴れの予報であるから大道芸日和と言えるかもしれない丁度良い天気である。
ファニーボーンズのドキュメンタリー番組を撮影しているNHK関係のスタッフが昨日から帯広入りしている。今回の「とかち夏空大道芸フェスティバル」の模様もすべて撮影していきたいと言う。これはすごいことだなぁ~。大道芸フェスもいよいよ全国レベルになってきたかな?
ディレクターが私にもインタビューをしたいと言う。ハイ喜んで!
大道芸フェスは始めた2002年当初から予算との格闘であったが、寄付金や補助金だけに頼っていても仕方がないので、自分たちで資金を稼ごうと、今回、大道芸人さんの発案で始めた「シャボン玉コーナー」がばんえい競馬場でも熱気球会場でも大好評で、シャボン玉溶液が作っても作ってもすぐに無くなる。この溶液は製作に結構な手間と時間が掛かる。
もうひとつの稼ぎ頭は「缶バッチ」の販売である。私が以前に購入した缶バッチ製造マシンで、帯広オリジナルの缶バッチを制作して販売するのである。
この缶バッチ、今日はじつに良く売れた!さすがに20年以上も大道芸フェスを続けていると大道芸人さんのファンが生まれてくるのだなぁ~。ちゃんとオリジナルのサイン付缶バッチがあることを知っているファンが坂本ビルの出口で待っていて、缶バッチ売りのボランティアが外に出るなり数分間で、特定の芸人さんの缶バッチがアッと言う間に完売してしまったのである。
すぐに私が追加製作をしたのだが、製作が間に合わないほどの売上であった。
大道芸は開会式直後に8/9丁目の交差点で大道芸の出演者全員参加の大道芸オープ二ングセレモニーを行う。
これは今回の出演芸人全員の顔見世みたいなものである。
私もパンフレットを500部ほどカバンに入れて首から下げて配って歩いた。このパンフレットもどんどん無くなる。
すごい人気である。確実に「大道芸」のファンが増えている実感がある。
オープニングの後の最初の登場は「中国雑技王 張海輪」さんである。変面、鞭芸、壺芸、そしてメインは高く積み上げた椅子の上での倒立芸である。何度観ても迫力が満点で、圧倒的な集客力である。
今回8組12人の大道芸人の中には、大道芸世界チャンピオンが5組も居るのである。よくぞこれだけの高レベルな芸人が帯広に集合したものである。
毎年、関東から帯広の大道芸を観にくる常連の観客が居て、私もすっかり顔馴染みになった大道芸ファンの人達が今年も数組来てくれていたが、皆一様に「帯広の大道芸フェスのレベルは最高!」と言ってくれる。嬉しいことだ。
私も全員の演技を観たいのであるが、忙し過ぎてとても全部の芸人さんを観て廻ること時間がない。来年の課題はボランティアスタッフの増員だなぁ~。
大道芸を初めて見た孫たちも大喜びである。最前列に陣取って声援を送り、芸人さんにいじってもらいたくて、盛んに手を挙げていたが、いじってもらえなかったと残念がっていた。
ファニーボーンズのケーボーが、娘の所に来て「20年前のあの娘さんが結婚して子供を産んで、その娘が大道芸を好きになってくれるなんて涙もんだなぁ~、感動して涙ぐんじゃったよ」と感深げに語ってくれたとのこと。
次女は東京で会社務めをしているが、毎年この大道芸のボランティアスタッフをやりたいと帰省してきて手伝ってくれている。坂本家はもうすっかり家族中で大道芸のファンになっている。
夕方になって本部に戻ったら背中がやたらと痛い。重たいパンフレットを入れたカバンを首から下げて背中を反らせて歩いていたからであろうなぁ。おまけに今日は腰ベルトをして来なかったのである。こりゃぁ~マズイ!
芸人さん達のようにキチンと準備運動をしてから活動開始をすれば良かった。
夜は恒例の、坂本家主催の芸人さんの歓迎会である。以前は坂本ビル内に入居していた居酒屋さんで開催していたのであるが、コロナ禍で居酒屋が撤退してしまったので、知人がやっている居酒屋を予約しておいた。
芸人さん達の間では、十勝は食べ物が美味しいとの評判が定着しているから、家族連れで帯広を訪れる芸人さんも多い。今年も2組が家族連れで訪れてくれた。これも嬉しいことである。
年々、差し入れも増えていて、ボランティアの農家さんから「メロン」や「トマト」や芸人さんも、おみやげにお菓子を持ってきてくれるので控室は差し入れの宝庫である。
歓迎会で明日の差し入れに何か食べたいものがありますか?と聞いたら「トウモロコシ」というリクエストである。大道芸実行委員会の火ノ川会長が農家なのでその場でさっそく連絡をしたら、明日の朝、自分の畑からもいで持参するとのこと。
今年も食べ物で釣る作戦である。
■2023-08-15-Tuesday 大道芸フェス最終日
さて、今日は早くも千秋楽
二日目にしてもう最終日である。
今日も天気は暑過ぎず寒過ぎずの大道芸日和になりそうだ。
火ノ川会長が、朝もぎのトウモロコシを持参してくれた。新鮮でみずみずしい内に、早速1本に塩をまぶしてラップで包み電子レンジでチンしてみた。
家族連れで来ていた芸人さんの2歳の子供が美味しい美味しいと1本を丸ごと食べたのであった。やっぱり採れ立ては最高である。順次作って食べてもらったら皆が「こんなに甘くて美味しいトウモロコシは初めてだ」と喜んでくれたので提供した方も嬉しくなる。人間美味しいモノを食べている時というのはとても良い顔になる。今日もゴキゲンの演技が見られることだろう。
私は今日も缶バッチを造らなければならないが、58㎜サイズの大きさの材料が100個全てを作り終えてしまった。50㎜の小さいサイズの材料ならまだ100個分は残っているから、今日は小さいサイズで作ることにした。
しかし、写真のサイズが大き過ぎて50㎜サイズでは収まらないのである。急遽、勝毎のスタッフに写真のサイズを縮小印刷してもらって小さいサイズで製作を始めた。
これでまた缶バッチ製作に時間を取られて、芸人さんの演技を観ることが出来なくなってしまった。これがとても残念!
昨日に続いて、今日も大道芸の見物客の数はスゴイ!という報告が入った。大道芸の面白さが帯広市民にもかなり浸透してきているのであろうなぁ~。
主催者としてこんなに嬉しいことはない。
最終日の名物は「ファイナルショー」である。これは帯広の大道芸フェスティバルの昔からやっているイベントで、出演者全員による即興の出し物なのである。
帯広のフェスティバルに参加している芸人さんが、開催期間中に打ち合わせと練習をしてアドリブ満載の30分間ほどのショーに仕上げるのである。
大道芸人さんたちも普段はバラバラに活動しているわけだから、帯広で初めて顔を合わせた芸人さんもいるのである。全体の流れなどの構成演出担当はダメじゃん小出さんである。かれが自分の出演回数を減らしてまで演出とMCを担当してくれるのである。
このファイナルショーは大道芸人さんらの間では、これに出てみたいとの希望が多い芸人憧れのショーとなっていると言う噂なのである。
年々、観客も早目に会場に行って場所取りをするほど人気がある帯広の大道芸の唯一独特の演目になった。
今年は世界チャンピオンばかりが集まっているから、迫力満点でスピーディな演技で最高の出来であった。感動した観客が投げ銭として一万円札を投入してくれたほどであった。観ていた私も思わず涙が出るほど感動した。
終了後は写真撮影タイムである。ファンが増えてきて芸人さんと一緒に写真を撮りたいというファンが殺到するようになった。ものすごいファンの熱気を感じる場である。
ファイナルショーの後はすぐに本部に戻って後片付けを行う。この時期引っ張りだこである大道芸人さん達は、明日中に次の場所への移動をしなければならないからだ。
後片付けが終わったら、恒例の平和園本店での打ち上げ会である。
パフォーマーとスタッフが同じ場所で一緒に酒を飲み、焼肉を食べるのである。こういう大道芸フェスは他には無いと芸人さんらが言っていた。
帯広方式は、なにからなにまで素晴らしい!と
閉店時間まで食べて飲んで再会を誓って解散したのであった。
■2023-08-16-Wednesday 祭りの後の・・・
祭りの後の寂さよ・・・
なんて悠長なことは言っていられない。
今日も超忙しいのである。
朝から雨がはげしく降っている。一昨日、昨日のまつり期間中に振らなくて良かったなぁ~!今年は天候に恵まれた!
私の会社である坂本ビルの6階に大道芸フェスの本部と控室を置いてあるから、芸人さんんらの荷物造りと、備品などの運搬作業がまだ残っている。
8:00までに会社に行って開錠し、私の会社の備品を片付ける。スタッフもすでに来ていて後片付けを行っていた。
9:00に社員が出社してきたので、後を託して自宅に戻る。これから4歳と2歳の孫と遊ばなくてはならない。
最初に組み立てたスケジュールでは新得町のベアーマウンテンという熊の放し飼いをしている施設にでも連れて行こうと考えていたのであるが、雨が降っていたら熊も雨宿りして出歩かないないだろうから止めにしようと言う。シャボン玉溶液が少し残ったのでもらってきたのだが、雨ではシャボン玉も出来ない。
まずは祖母のところに挨拶に連れて行ってひ孫の顔を見せ、それから墓参りに連れて行って、その後で昼食を食べようというスケジュールになったのであった。何が食べたいかを娘の夫に聞いたら「ジンギスカン」が食べたいと言うリクエストである。
私は12日と昨日の15日にも平和園本店でジンギスカンを食べているから、それなら「ジンギスカン北海道」に行こうということになった。店の前まで行ったら「本日休業」の札が出ているではないか。
仕方がないから平和園の緑ヶ丘店に行ってみたら「1時間待ち」だと言うので予約をしてから、近くの妻の叔父の家に挨拶に行った。玄関先での挨拶だけにするつもりであったのだが「上がって!」と言われたので家の中にお邪魔した。ここでも2匹のミニ怪獣どもが暴れる。1時間ほどお邪魔してから平和園に戻って婿さん待望のジンギスカンを食べる。私はこの5日間の内に3回も平和園のジンギスカンを食べたのであった。
そう云えば、確か去年の大道芸フェスでも、台風で東京に帰るのが一日延びた芸人さんらに何が食べたいかと尋ねたら、前の夜に打ち上げ会で食べたばかりなのに「平和園のジンギスカン」が食べたいとのリクエストで2日続けて平和園でジンギスカンを食べたことを思い出した。まぁジンギスカンなら私も好きだからOKだけどね・・・
食後にどこに行こうかと相談したら「児童会館」が良いのではないかと云う。新趣向のプラネタリウムをやっているらしいと言うので行ってみた。
プラネタリウムの開始時間まで40分間ほど時間があったので、昔懐かしい科学展示室もあったのでそこで時間潰しをすことにしたのである。
入場券を購入する窓口で「おじいいちゃんとおばあちゃんはお幾つですか?」と年齢を尋ねられた。65歳から老人料金で半額になるのだと言う。そうか~!我々夫婦もついにおじいちゃんとおばあちゃんの年齢なんだなぁ~、傍から見ても年寄りに見えるのかと少々ショックであった。
科学展示場でしばらく遊んだが、私が小学生時代に遊んだ展示物がいまだに使われていた。もっと最新科学の展示物を増やせば良いのになぁ、50年前から同じモノを使っているなんてと驚いた。しかもこの展示室にはクーラーが付いていなくて暑いこと暑いこと、孫らも汗だくで走り回っていた。
15時からのプラネタリウムに、これまた40年ぶりぐらいに入館したが、こんなに狭かったかなぁ~と感じた。きっと自分の身体が40年前よりも大きくなったから狭く感じたのだろうなぁ~。
「夏の大三角形」と云うお馴染みの星座の解説を観ている内に寝落ちしてしまった。およそ30~40分くらいはグッスリと寝ていたようだ。
孫たちはその星座解説の後で「妖怪ウオッチ」だかのアニメを放映していたとかで真剣に喜んで見ていたと言うので連れて行って良かったのであろうなぁ~。
孫たち家族を児童会館に残して、私達夫婦は晩御飯の買い物に出掛けた。
今日は外食しないで我が家で一緒に家族団欒の食事会である。
楽しい食事会の後は、皆で記念の集合写真を撮ってから、私が昔撮影した娘がまだ幼い頃のVTRの映像を鑑賞した。ビデオテープをDVDにコピーしたものである。孫にあれがママだよと教えると面白がって見ていたが、娘と孫の顔やしぐさが瓜二つなのである。やはりDNAというのは恐ろしいものであるなぁ。
気分良くお酒を沢山飲み過ぎたのと、疲れからバタンキューで寝てしまった。
■2023-08-17-Thursday 帰っちゃった!
今朝はもう孫達が帰る日である。
今回のお盆期間はやたらと忙しかったので、ゆっくり孫と遊ぶ時間が少なかった。
久し振りに顔を合わせるのと、テレビ電話で映像を見ながら会話するのとでは、やっぱり違う。人間にとって肌と肌が触れ合うスキンシップは最高の意思伝達手段であると思う。
身体の体温、汗、筋肉の動きなどは画面越しでは分からない。やはり視覚以外の触覚というのも重要な感覚器官なのである。
人間は全身を使ってコミュニケーションするから心と心が通じ合うのである。
2歳の孫とは実際に面と向かって会うのは2回目である。前回はまだ赤ちゃんでこちらが一方的に話しかけるだけであった。その後に何度もテレビ電話で映像を見ながら話をしているから、人見知りはしないものの、やっぱり面と向かっての会話は初めてのようなものである。
「じいじに抱っこさせてよ」と言っても最初はなかなか抱かれようとはしなかった。ようやく、帰る日になってから抱っこをさせてくれた。
夕べの晩餐の終わった後に、父が私の娘らにやっていた身体を使った遊びを再現しようとトライしてみたのであるが・・・
腰が痛くてまったく出来なかった。抱っこも片腕で抱っこするのはかなり重たく感じる。筋肉がかなり落ちているようだ。ほんの少し孫を抱っこしたぐらいで腕が筋肉痛になってしまった。
妻と、昨晩見た昔のVTRでは6歳、4歳、3歳の子供を連れて旅をした時の映像を見て「やっぱり若かったから子育て出来たんだね。今ならとっても無理だね。子育ては若くないと出来ないね」と話したのであった。
JRの帯広駅に長女夫婦を送って行って、夫婦で入場券を買ってホームにまで入って見送ったのであるが、孫を抱っこから降ろしてホームを走らせると追っかけることも出来そうにない。それぐらい、じぃじ、ばぁばの体力は落ちているのに、心配する気持ちばかりが先行してしまう。
もしも何かあったらと思うと怖くて手を離すことが出来なかった。これだもの体力ばかりか気力も使い過ぎて疲れてしまうわけだ。
「来て嬉しい、帰って嬉しい孫の顔」みたいな感覚がよく理解出来る。
小型台風が去った後の様な感じであるが、その静けさが逆に妙に寂しく感じる。
次女も午後の飛行機で東京に戻った。
一挙に人が減って更に寂しさが増幅する。
きっと家に帰ったらドッと疲れが出るのであろうなぁ。
■2023-08-19-Saturday 大道芸の総括
全身の筋肉痛で、
特に背中と腰と腕が痛い。8:00~10:20までたっぷりと2時間以上もマッサージを受けてリフレッシュしてきた。
身体の回復力が昔に比べて格段に落ちている。やっぱりもう年なんだなぁ~。
今年の大道芸は、「おびひろ平原まつり」以外にも、12日には「ばんえい競馬場」で、13日には「上士幌町の熱気球会場」でのイベントに派遣して資金稼ぎを行った。
まつりの補助金や広告費や寄付などの収入も相変わらず少ない中で、自分たちで運営資金を造り出そうという試みであったが・・・
収支決算はまだこれからだが、飛行機代がお盆期間中には割引料金が無いから、お盆期間を外す日程を組むことで割安にはなるが、逆にその分の宿泊費や食費などが掛かる。果たして思った様な収支結果になっているのであろうか?
今年はスタッフが少なかった関係で、例年「ファイナルショー」の前に行っていたオークションは出来なかった。
その分、缶バッチの販売では以前よりも個数も金額も上回った。
ボランティアスタッフの人数がまったく足りていない中で、しかも、勝毎の事業部員は13日には花火大会というメインイベントがあって、そちらに人員が割かれてしまうのは仕方がない。
特に今年の私は、13日に日本奇術協会のマジックショーの地域コーディネーターを務めていたので、大道芸の12~13日にはまったくの役立たずであった。
火ノ川委員長は農作業で忙しい中を責任感を持って仕事を完璧にこなしてくれた。彼が居なかったら、今年の大道芸は成り立たなかったであろう。
以前から、特定のスタッフに重責が集中してしまう傾向にあった。この問題の解決策を持たなければ長続きさせることは出来ないであろう。
「とかち夏空大道芸フェスティバル」の本番である14・15日は、これまでにお手伝いしてくださっているボランティアスタッフが参加してくれて何とかかんとかやりくりは出来たようだが、一部のスタッフには過剰な仕事が集中してしまった。もっと大勢のスタッフが居なければ上手く回っていかない。
今後の一番の問題点はスタッフの人数確保である。
心配された天候の面では、雨も降らず、気温も暑過ぎず、寒過ぎずであったからパフォーマーにも観客にとっても適度な天候であった。
16日には結構な量の雨が朝から降ったから、3日間の開催だと、どうしても一日は雨に祟られるジンクスがあるようだ。
ただ、大道芸だけを考えると、1日の期間短縮は、パフォーマンスの機会が減ることを意味する。一日3回のパフォーマンスで3日間で9回の出演機会が6回に減ることになる。
大道芸人の収入は「投げ銭」であるから、出演回数が減ることは収入減を意味するのだ。これは大きな問題である。
今年のフェスティバルには8組のパフォーマーを招聘したが、その中に大道芸の世界チャンピオンが5組も居た。
この高レベルを維持するには、それなりの「利益」がなければならないだろう。
3日間のまつりと2日間のまつりでは収入が少なくなるのであるから、その分の補填を何で行うかが問題である。
これまで、世界レベルのパフォーマーを招聘できた背景には、ファニー・ボンズの所属事務所の金丸雪菜社長の手腕によるところが大きい。
それに加えて、十勝の食べ物の美味しさで芸人さんを釣っていたキライもあったのだ。
この時期の東京などに比べて、涼しい北海道に来て、美味しいモノを食べることが一流芸人を招聘するモチベーションになっていたのだ。
だが、果たして今後もそれだけで呼べるのであろうか?
今回来てくれた芸人さんたちが皆さん言っていたことだが、帯広のスタッフの方々のアットホームな雰囲気と運営、そして食べ物の美味しさが魅力だと・・・。
20年も続けているとスタッフの高齢化が目立ってきた。私のような腰の悪い老人は重たいモノを持てないから荷物運びには役立たずである。
若い人たちにもっと入ってもらわないと・・・
結局は運営スタッフの人数とパワーが無いと、この大道芸フェスの運営は難しい。
来年の課題としては、これまで「本部兼控室」として使用してきた坂本ビルが使えなくなることだ。どこかに適当な場所を見つけなければならない。
■2023-08-20-Sunday 気が抜けた~
超が付く忙しさのお盆が過ぎて
孫たちも帰ってしまい、一気に緊張感が抜けたのと、身体も疲れているし、残暑が厳しくて家には居たくない。
しばらくお休みしていた愛犬との朝の散歩を再開しようかと思ったら、朝から雨が激しく降っているので気晴らしの散歩に出掛けることも出来ない。
自宅でグタァ~とダレていた。
テレビもつまらないし、映画館に行って「ミッション・インポッシブル」の新作を見ることにした。
新聞の映画案内を見たら、字幕版は11:45と20:00しかやっていない。何と中途半端な時間帯なんだろう。
夜は出歩きたくないから、11:45からの字幕版を見ることにした。妻を誘ったがこういうアクション物は好きではないという。息子も行かないと言うので一人で観ることにした。一人でもシニア料金の1200円で観ることが出来る。
映画館に行く前に昼食を食べていかなければお腹が空いてしまう。ブランチをスパゲティのナポリタンとミルクティを自分で作って食べた。料理にはこだわりがあるから、鉄板の皿を熱した昔の喫茶店風のナポリタンを作って食べたのである。味は当然ながら美味い。
ミッション・インポッシブルは結構混んでいた。
映画館の中は冷房があまり効いていないみたいで汗が出て来る。
前調べをまったくしないで観たものだから、こんなに長い映画だとは思わなかった。2時間43分(予告編を入れたら3時間)も座っているのは結構ツライ。やっぱり歳を取っておしっこが近くなってくると3時間近い映画はツライよなぁ~。
映画は見せ場が多いが、なかなか終わらない。終わっても、エッこれで終わりなの・・・と思ったら、観終わった後のタイトルバックには「ミッション・インポッシブル・デッドレコニング PART ONE」との表示があった。
つまりは、これの続編があるということなのであろう。
次回作は2時間以内にしてほしいなぁ。
映画館を出たら、外は快晴で気温も高く蒸し暑い。
以前ならお盆の翌日には秋の風が吹いていたものであったが・・・
つくづく14・15日の天候は大道芸にとっては最高の気温であったなぁと感じた。
■2023-08-21-Monday 松旭斎すみえ
女性マジシャンの松旭斎すみえさんが逝去された。
8月12日の午前2:26に老衰のためにお亡くなりになった。享年85歳であった。
またひとり旧知のマジシャンが鬼籍に入ってしまった。
すみえさんとは、私が大学1年生に入ってすぐの1976(昭和51)年の4~6月に、作曲家いずみたくさんの所有する六本木のビルの地下にあったアトリエ・フォンテーヌという小劇場で開催された(初代)「引田天功のマジック道場」という催しで共演している。
この時の共演者は、引田天功(初代)、ジミー忍、伊藤一葉、はかま満男、松旭斎すみえ一門、堤芳郎、その他に学生マジシャン3名、指人形使い一座、などであった。
北海道の片田舎で、独学でマジックをやっていた高校生が、大学に入学した直後に、当時一番人気のあったマジシャンである引田天功のショーにいきなり出演したのである。これはまさに縁であった。この時の出演が縁でジミー忍師に師事することになったのである。
すみえさんにはとても可愛がってもらった。この時に松旭斎すみえ一門の中の弟子の一人として共演した花島世津子さんとは、ジミー師の自宅で麻雀もやったりした。
その後も、すみえさんとは何度か舞台もご一緒したが、一番の思い出は、大学4年生(1979年)の冬に、「奇術研究」というマジック雑誌を出版していた力書房という出版社が東京会館で主宰したマジックコンベンションに参加した時のことである。
このコンベンションのメインゲストは、フレッド・カップスという技巧派のマジシャンの招聘であったのだが、スペシャルゲストとしてイタリア映画「ヨーロッパの夜」(1960年公開)というヨーロッパのキャバレーに出演するパフォーマーの演技を映した映画で華麗な鳩出しのマジックを演じたハンサムで上品なマジシャンのチャニング・ポロックも奥様同伴で来日していた。
当時、ポロックはすでに引退していて島田晴夫師のマネージャーを務めていたのであるから、とうぜん島田さんも来場していたがこの二人は演技をしていない。
映画の公開が私が生れた直後の昭和35年であるから、当時の若い人の中でチャニング・ポロックのことを知っている人はとても少なかったのだが、私はジミー師の自宅でこの映画を何度も見せてもらっていたので憧れていたマジシャンが目の前に居ることにとても興奮していた。
すみえさんにとってもポロックは超美形なマジシャンとして憧れの人であったのだろう。私に通訳して欲しいと言って彼の横に私を連れて行き、一緒に写真を写してもらってサインをしてもらったのであった。
松旭斎すみえといえば、ポール・モーリアの「オリーブの首飾り」というBGMであろう。すみえさんのことは知らなくても「オリーブの首飾り」の音楽が聞こえてきたら「マジック」が始まると思っている人も多いのではなかろうか。このBGMを使用し始めたのは昭和50年頃ということだから、ちょうど私と初めて共演した頃であったのだろうなぁ。
「奇術の日」というのを設定したのもすみえさんである。これは、ジミー忍師の奥様の「こまだまこ」さんの誕生日が1月23日であることから、ワン・ツー・スリーというマジックの掛け声と同じ数字の並びの日をマジックの日に制定してはというジミー師の提案を、当時の日本奇術協会の第8代の会長に就いていたすみえさんが採用したものである。
ただし、1月ではイベントが少ないとのことで、同じ数字の並びでクリスマスや忘年会などが多い12月3日になったのであった。
昔、一緒に活動したマジシャンたちが亡くなっていくのは寂しいことだなぁ~。
■2023-08-22-Tuesday 残暑
お盆が過ぎたというのに・・・
以前なら、お盆が過ぎた17日には秋の風が吹いて秋の到来を急激に感じたものであったが、今年の残暑はヒドイなぁ~。
もともと暑さに弱いから、この残暑は身体にも精神的にもツライ!
天気予報の長期予報によると9月中旬頃までこの暑さが続くという。
東京都では、群馬県のダムの貯水量が減って、取水制限が出されるかもしれない事態だという。
何十年か前に、取水制限のあった四国を訪れたことがあったが、ホテルに泊まっても湯船にお湯を張ることが出来ずにシャワーだけであったし、学校のプールや公園の噴水も休止、農家も大変な思いをしていたことを思い出した。
一方では線状降水帯が発生して大雨の被害にあったり、ゲリラ豪雨が振る場所があったりして水の被害は増えている。
雨が降って欲しい場所には降らずに、もういらないという場所には降るのだから困ったものだ。
ハワイのマウイ島の山火事やカナダの山火事やヨーロッパでも山火事が発生してその被害もスゴイし、世界中で異常気象が頻発している。
私が地球環境問題に初めて触れたのは1992年のことであったが、こうなることは、そのもう数年前から警告されていたことだ。
環境問題には「茹でガエル理論」というのがあるが、蛙をいきなり熱いお湯に入れたらすぐに飛び出るが、水から徐々にお湯の温度をゆっくり上げていくと蛙は温度の変化に気が付かずに茹で上がって死んでしまうと云う理論である。これは実際の蛙の実験結果とは異なる理論のようであるが、言い得て妙な理論である。
人間も地球環境の変化にはこれまでは気が付かなかったのかもしれない。しかし、ここ数年の異常気象の連発でようやく事の重大性に気が付き出したのかもしれない。
しかし、もう手遅れかもしれない。この30年間、人間は何の対策も打たなかっただけではなく。ロシアとウクライナの戦争みたいな環境破壊を毎日行っている。
アホみたいな人間ばかりである。
今年の農作物は、一部は雨でやられ、一部は高温でやられ、一部は干ばつでやられる。鶏インフルエンザでニワトリが大量に処分されて玉子が値上がりした。ウクライナの戦争で小麦の値段も高騰している。燃料の石油も値上がりしている。
これからは、食料の価格が暴騰するかもしれない。
人間は食べなければ生きてはいけない動物なのである。
十勝は食料自給率は1500%だと威張っているが、これは数字のマジックによる錯覚に過ぎない。
十勝の人口の35万人の1500%と言ったところで、35万人の1500%とはたかだか525万人に過ぎないのだ。
北海道の人口すら食べさせられないのだ。元の数字が低いのだから、日本人の1億人を食べさせることは出来ない。1500%という大きな数字に錯覚させられているだけだ。
十勝では主食のコメは作っていないし、大型トラクターを動かすエネルギーの石油も、牛に与える配合飼料も農薬も輸入品だ。
輸入価格が高騰したら、たちまち経営の圧迫を受けてしまう。
来るべく、地球規模の飢餓を克服する対策を考えておく必要性が逼迫しているぞ。
■2023-08-23-Wednesday 高校野球
今年はお盆前後に忙しくて
テレビを見る暇もなかったので高校野球はまったく見ていなかった。
19日の午前中にマッサージを受けている時に、そこのテレビで高校野球が映っていたので初めて見たのであった。
ちょうど慶応高校が勝って整列をして帽子を取った姿を見て、一瞬アレッと違和感を覚えた。髪型が坊主頭ではなかったからだ。
先入観で高校野球の選手は皆、丸刈りというイメージが出来上がっていた。
慶応の選手の髪型を見て、大学野球なのかなと錯覚を覚えたほどであった。
それだけ新鮮な驚きであったのだろうなぁ。
その慶応高校が107年前の第2回の高校野球大会以来の優勝を遂げた。さすがに話題に上っていたし、帯広はとても蒸し暑かったので外出する気にもなれなかったので自宅でアイスキャンディを食べながらテレビを見ていたのである。
テレビ画面を見たら、圧倒的な慶応高校の応援の多さにビックリした。プロ野球の応援は極一部のファンが旗やトランペットで応援しているが、観客全員が応援しているわけではない。この日の甲子園球場の慶応応援団は観客全員が一体化していた。高校野球で甲子園が満杯になるのも珍しいのではないだろうか。
仙台育英の選手は、明らかにこの大応援団に気圧されて浮足立っていた。
こんなに満員の観客の前で試合をするのは、おそらく初めての経験なのではなかろうか。しかも7~8割近くが慶応の応援団みたいな感じであったろうから、完全にアウェー状態である。
仙台育英は去年の夏の優勝校であるから、この大会は2連覇が懸かっているが、一方の慶応は107年振りの優勝が懸かっている。
観客心理としては、仙台育英の関係者でもなければ慶応を応援したくなる状況であろうなぁ。
私は高校野球は体育会系の典型のような感じがして、あまり好きではないがこの慶応の優勝によって高校野球界の体質が変われば面白いなぁと思ってみていた。
でも、日本人はやっぱりブランドに弱い民族なんだなぁ。
■2023-08-24-Thursday 駒大寄席
駒澤大学同窓会十勝支部の会長を
務めているが、今年の総会&落語会を10月8日(日)15:00から、坂本ビル6階で開催する運びとなった。落語会を同窓生以外の一般にも開放するのは4年振りのことである。
その打ち合わせの役員会を今日の18:30から坂本ビル会議室で行った。
関係資料等を会員に発送するための封筒への袋詰め作業を行ったのである。
コロナ禍以前の「駒大寄席」の会場はとかちプラザのレインボーホールやホテルの会場を使用していたから、収容人数は300席前後であった。
今回の日程は、10月7~9日の3連休の真ん中の日曜日の8日ということもあって、すでにどこの会場も予約が埋まっていたので、しかたなく坂本ビル6階大ホールにしたので収容人数は200名と少なくなってしまった。
なぜにこの日を選んだのかと言うと、駒澤大学特有の事情による。
それは卒業生にお坊さんが多いことから、いわゆる「友前(ともまえ)」の日を総会の日程にした。
友前とは「友引」の前日という意味で、お葬式は友引の日には行わない日本の風習による。つまり、友引に葬式を行わいということは、友引の前夜には「通夜」は行われないということになり、夜の会合にお坊さんの参加者を増やす為には友引の前の日を設定すればスケジュールを組みやすいのである。
この友前が土日祝日に当たる日をカレンダーで調べてみると、意外にピッタリの日が少なかった。
たまたま3連休の中日である10月8日(日)が友引前の「先勝」の日だったので、この日をえらんだのだ。
意図して三連休を選んだわけではない。
招聘する落語家には三遊亭王楽と三遊亭ふう丈という3年前に招聘した二人の同窓の落語家を選んだ。
また楽しい噺を聞かせてくれるであろう。
駒大同窓生以外の一般の方も無料で鑑賞できるが、人数には制限があるし、人数を把握したいので、入場整理券を持っている方に限らせてもらう。
駒大同窓生や曹洞宗のお寺などでも配布するが、一番多くの枚数を配布するのは坂本ビル6階の事務所とした。平日の9:00~12:00の午前中のみ対応することにした。先着100名様としたので早めに入手してほしい。
来週には新聞にも掲載される予定である。
■2023-08-26-Saturday メンテ難す
今日も身体のメンテナンスをしてきた。
まるで疲れが取れない!でも大谷翔平の身体の酷使に比べれば、まるで比較にならないはずなのに、年齢を重ねると身体の疲れがなかなか取れないのである。
今日も8時から馴染みの整体師のところに行って2時間半のマッサージを受けてきた。
整体医院ではテレビでちょうどMLBのメッツVSエンゼルス戦を放送していた。大谷は打者として出場していたので驚いたのだが、彼の身体は大丈夫なのであろうか?
今年はWBCに出場していたから、例年よりも1ヶ月は早く始動していたはずである。それも主力選手として全力で毎試合臨んでいた。
その後もMLBで打者として投手としてフル回転の大活躍である。いくら睡眠が上手く取れたとしても筋肉の疲労は蓄積されていただろう。せめてピッチャーとして登板した翌日くらいは休ませてあげなければ身体が持たないであろう。
ここに来てやっぱり故障をしてしまった様なのに、まだ休まずに試合に出続けている。彼の野球に対するモチベーションって一体何なのであろうか?
私は気持ちはいくら若くても身体が言うことを聞かない。
メンテナンスはメンテ難すでもある。
帯広の天気は今日も蒸し暑い。
自宅に戻ってからは一歩も外に出たくない。
夕方5:00から久し振りに庭で外ジンギスカンをやるという。
今年のお盆はやたらと忙しくて外焼肉をやっていなかったから、そろそろ外焼肉のシーズンも終わりかなと思ったのでやることにした。
焼き始めたら、雷がゴロゴロと鳴り始めた。
5:20頃には雨がポツポツと降って来た。いまさら止める訳にもいかないから、大急ぎで焼いて食べようとビールで流し込みながら慌てて食べた。
途中でザーッと雨が降ってきたが、東の空には虹が架かっている。西の空も晴れているのに、我が家の上空だけ雨が降っている。
焼肉の火で温度が上がって上昇気流が発生して我が家の上にだけ雲がかかったのかしらん。
そんなことはないであろうが、大急ぎで食べ終えて家の中に入った。デザートのスイカは家の中でゆっくり食べたのであった。
変な天気であるなぁ。
■2023-08-27-Sunday 暑~い!
もう暑くて暑くて・・・
あぁ、それなのに今日はゴルフなのである。
私は申し込んでなんていないのに、会社に今日のゴルフの組合せ表がFAXで送付されてきて、そこに私の名前が書いてあるではないか!
同じ組には先輩らの名前が載っている。すぐに同じ組に名前が載っているっ先輩に「私は申し込んでいませんが・・・」と電話したら「つべこべ言わずに出て来い!それとも俺とはやりたくないのか?」と・・・。
私は暑い日、雨の日、強風の日、寒い日にはゴルフをやりたくない超ワガママなゴルファーなのに・・・。
天気の長期予報では十勝も日曜日から雨マークが付いているが予想気温は29℃となっている。たぶん蒸し暑いのであろうが、このところ30℃超の蒸し暑い日が続いているから、少しは涼しいのかと思って参加を承諾したのであった。
会場は芽室町の帯広カントリークラブ新嵐山コースで、帯広信用金庫が主催のふれあいカップという大人数のコンペである。
私達の組のスタートは11:00である。
朝から曇りで昨日よりは少しは涼しそうである。ゴルフ場に到着した頃から晴れそうな雰囲気になってきた。
このコンペは大人数の参加者であるので、キャディ無しで4人乗りカートに乗ってプレーするから徒歩でプレーするよりは楽であろうが、前回プレーしたのは8月8日で20日振りのゴルフであるのにパットの練習も無しにいきなりプレーになってしまった。
3ホール目くらいから晴れて太陽が出て来た。ものすごく蒸し暑くなってきた。汗がダラダラと流れてくる。カートでも辛い。
フェアウェイは、芝が枯れていて酷い状態である。
昔、ウルトラマンで乾燥した惑星に不時着した宇宙飛行士がジャミラという怪物になってしまうというのがあったが、そのジャミラの肌みたいに乾燥して芝の根が枯れ、割れて干からびて浮いている状態なのである。6インチプレースとはなっていても、そこら中がそんな状態であった。
水分を常に取りながらプレーしたが、自分のかいた汗でシャツが身体にくっつく。頭がクラクラしてくる暑さである。天気予報はハズレで、雨は一滴も降らずに気温は30℃超えの蒸し暑さになった。結局11:00~15:20の一番暑い時間帯にプレーをしたのであった。
大人数のコンペであるから、表彰式は無し、ダブルぺリア方式のハンデでスコアを計算して後日賞品が届けられるというので、スコアを提出してサッサと帰宅した。
帰宅してニュースを見たら、札幌や苫小牧方面ではスゴイ雨が降っていたのになぁ~。
帰宅途中で喉が渇いたので自動販売機で水を購入して飲みながら帰ってきたのだが、今日は4本もペットボトルの水を飲んだ。
やっぱり暑い日のゴルフは身体に悪い。
■2023-08-29-Tuesday ジョニー広瀬逝去
マジシャンのジョニー広瀬(良雄)さんが
26日に白血病のために大阪市内の病院で死去した。1948年3月22日生まれ享年75歳。
ジョニーさんは、私のマジックの師匠である故ジミー忍師の最初の弟子であるから私の兄弟子にあたるマジシャンだ。
私がジミー師に師事していた1976~1980年には既に大阪に戻っていたから一緒にステージ活動はしていないが何度かお会いしている。
ジョニーさんとは、昨年10月17日に東京の如水会館で開催された「島田晴夫師の追悼会」で久し振りにお会いした。この時にはジミー師の奥様のこまだまこさんと私が隣の席であったので、杖をついて歩いてまこママの席まで挨拶に来られた。リハビリをして絶対に復活すると言っていたのに・・・、ジミー師の「ファイアーシンブル」や「宝石プロダクション」の演技を継承して演じていただけに残念な思いである。
特に「ファイアーシンブル」の演技はジミー師が使っていたBGMの「大脱出のテーマ」を使用し、ルーティンもそっくりそのまま演じていたから、ジミー師のこの演目を演じる人がもう居なくなるのかもしれないと思っていたら、ジョニーさんの弟子の瀧川一紀というマジシャンがファイヤーシンブルを継承しているとのことであった。
すぐにまこママに電話して悲報を知らせたら、つい先日の松旭斎すみえさんに続いてまた親しいマジシャンが亡くなってしまって寂しいなぁと言っていた。去年出版された「ジョニー広瀬 奇術人生55年」にはジミー師とのことも私の事も出ている。
以下にジョニー広瀬さんの経歴を転載する。
「大阪生まれ、1987年に吉本興業に所属した。ステージマジックからテーブルマジックまで幅広いレパートリーを持ち、その独創性に富むマジックは海外のファンも多く、2002年ハンガリー国際サーカスフェスティバルでは、日本を代表してゲストパフォーマーとして出演、ハンガリー特別賞を受賞した。イリュージョンマジックでは、「ジョニー広瀬&霞」として、霞夫人と一緒に活動。22年、マジシャンになったきっかけやマジック解説などを記した「ジョニー広瀬 奇術人生55年」を出版。近年は体調を崩し、舞台での活躍は少なくなっていたが、関西マジック界の重鎮として、多くのマジック仲間から慕われた。
13年4月、なんばグランド花月で吉本新喜劇「川畑マジック大成功」に出演、17年2月になんばグランド花月で開催された「舶来寄席2017winter」に演出としてマジック指導を行ったのが最後の舞台となった。」
ご冥福を祈る合掌