■2014-05-01-Thursday 違和感
昨日の夜のニュースを見ていて
違和感を覚えた。
札幌のガスボンベ連続爆発事件の容疑者として数日前から任意で事情聴取を受けていた50歳代の女性を道警が逮捕したというニュースにである。
最初に任意で事情聴取を受けているのが50歳代の女性と聞いた時も、「エ〜ッ犯人が女性なの?」という疑問が湧いたのが始まりだったが、この女性が否認しているのに逮捕って???
しかも顔写真から名前まで公表して・・・。
道警は拙速過ぎやしないだろうか?
ニュースを聞いていても、何故にこの女性が犯人と思われるかの説明が乏しい感じがする。
防犯カメラに似た女性が映っていたというのだが、地図で見ると、この女性の自宅が事件の起きた場所の近くなのだから、そりゃ〜普通に生活していれば防犯カメラにだって映るだろうに・・・。
家宅捜索して押収したという証拠も何であるのかの説明は無かったが、もしもガスボンベや画鋲や釘だというのなら、我が家にだってボンベや画鋲や釘くらいあるぞ!
犯行声明文に使用されたゴム印でも押収したのかしらん。
それにしても、任意の事情聴取を受けている人が完全に否認しているのに逮捕ってアリかね〜。マスコミも道警が逮捕したからって、こんなに一斉に氏名や顔写真やアパートまで報道してよいのだろうか?
道警は焦って冤罪を作り出すようなことがあっては断じていけないし、マスコミも鵜呑みにして、そのまま発表するのも考えモノだぞ。
私には犯人は男性のような感じがするのだがなぁ〜。
何だか、ついこの前に観た映画の「白雪姫殺人事件」の展開に似ているような気がしてしょうがない。
■2014-05-02-Friday 人事
人事って大切なんだなぁ〜とつくづく感じた。
日本に於いては組織運営の上手い下手は「人事」の上手い下手とイコールなのかもしれない。
小説や映画の世界だけではなく現実世界の政治や会社や、果てはやくざの世界などでも、組織に抗争と云うか紛争と云うか、争いごとが起きるのは、ほぼ「人事」が直接の原因か、少なくとも遠因にはなっているようである。
組織のトップに立つ人間は、部下の能力だけではなく、性格や気性なども考慮に入れた人事を心掛けなければならない。
部下にやる気を起こさせるのも、反対にやる気を削ぐのも人事ひとつで出来てしまうのだからトップはよくよく人事のことを真剣に考えなければならないだろう。
そこの考慮が足りずに、あまりに簡単にポンポンと決めてしまうと後々に禍根を残すことに繋がってしまう危険性が出てくる。
時間の有る無しではなく、人事というものは体制を考えてじっくりと行なう必要がありそうだ。
長期政権のトップは好き嫌いは別にしても、例外なく人事が巧みな人たちであることは間違いない。
政治の世界で言えば佐藤栄作や小泉純一郎あたりがこれに当たるかもしれないなぁ。
上手く部下の競争心を煽りながら競わせて仕事の能率を上げて業績を伸ばし、且つ自らへの忠誠心も引き出す。
逆に人事が下手な人は部下のやる気を消失させたり、いらぬ抗争を引き起こしたり、あるいは不興をかって引きずり降ろされるケースもままあるようだから怖いものである。
トップに立つ人間は人間心理を学ばねばならないだろう。
私もいくつかの組織のトップを務めているので心して置く必要性を痛感したが、他人を評価するというのは難しいことでもある。
■2014-05-03-Saturday 小説書き
このGWは3人いる子どもたちが
皆バラバラに帰郷するので家族全員が一堂に揃うことはない。
長男は今日戻ってくるが、次女は明日戻ってしまうし、長女が戻ってくるのはもっと後になる。それぞれの職場などのシフトの関係からだが、これからはこう云うことが多くなのるだろうなぁ。
地元の新聞社の十勝毎日新聞の花見の宴の案内が前日にFAXで来た。このところの高気温で桜が一遍に咲いたから例年よりも1週間以上も早く催すことになったという。
勝毎ゲストハウスの庭にある「江戸彼岸桜」も今年は満開である。花見の宴にはかなり以前から招待していただいているが、実は満開のこの桜を見るのは今回が初めてである。いつも花が散った後だったりしてなかなか満開の桜を見る事が出来なかったのである。それというのも近年のこの花見の宴はかなり寒い日に催されることが多かったからだろう。
桜の名称も私はずっと「エゾヒガン桜」だと勘違いしていたが、「エゾ」ではなく「江戸」だということが分かったし、花弁も小さくて可憐な花であることを初めて知ったのだった。
庭で酒を飲みながら招待客らと立ち話をしたがある旧知の人から「坂本さんは現在は何をされているのですか?」という質問をされた。古くからの知人であるから最初は質問の意味が理解できずに「あいかわらずビルの賃貸業ですが・・・」と答えたら「それだけですか?」「まちづくり事業なども沢山手掛けておられたのに・・・」と言う。
「今はもっぱら趣味の世界に生きています。マジックやゴルフ三昧ですよ」と答えたら「坂本さんは文章もお上手だから小説でもお書きになったらどうですか」と言う。
実は小説を書いてみたいと前から考えていたのでそう云ってもらえることは嬉しいことであった。
しかし、小説を書くにはこのブログなどのエッセイと違って創作力というものが必要になる。
資料なら1万5千冊以上も揃っている「マジック」「超能力」「魔術」などを題材にしたものを書こうかと思っているのだが、この分野では米国のクレイトン・ロースン(1906-1971)や泡坂妻夫などの先達が居る。
ロースンは「帽子から飛び出した死」「天井の足跡」「首のない女」「棺のない死体」などが日本でも翻訳出版されているが、作品の中で主人公のグレート・マリーニというマジシャンに謎解きをさせているのだが、自身もこの主人公と同じ名前でマジックを演じているマジシャンでもある。
泡坂妻夫は以前にこのブログでも紹介したが、本名は厚川昌男というアマチュアマジシャンである。作品はマジシャン探偵が活躍する物から時代小説まで実に様々なジャンルのものを書いている。
ペンネームは「あつかわまさお」と平仮名にして、そのアナグラムで「あわさかつまお」と置き換えてそれに別の漢字を当てている。
私もそれに倣って坂本和昭を平仮名ではなくアルファベットの「SAKAMOTO KAZUAKI」にして順番を入れ替えて「KOMATSUZAKA AKIO」とし「小松坂昭雄」という漢字を当てるペンネームだけは考えたのである。
あえて「坂」という最初の文字と、最後の「昭」という字を入れて本名との関係性も持たせようと考えたのだ。
ここまでの準備は良かったのだが、なかなかジャンルが決まらないで困っていたら先日「中原清一郎」が書いた「カノン」という小説にインスパイアーされて「性の入れ替り」を題材にしたものが面白いかもと思ったのである。
資料を集めて読んでいる内に、私の頭の中の整理がつかなくなってきて困っているのだ。
例えば「売春」であるが「男性と女性」が売春すれば法律違反になるかが「男性とニューハーフ(男性)」との売春なら法律違反にならないということで大都市では「ニューハーフクラブ」なるものが存在するのだとビートたけしがTVタックルの風営法の特集番組で言っていた。
しかし、最近のニュースでは性同一性障害で「性転換」した人の子どもの認知で私の理解を超えた判例が次々と出たので混乱してしまったのだ。
もしも「男性が性転換手術をして女性の身体になり戸籍も女性に改めることが出来た人が、普通の男性と売春したら罪になるのだろうか?」
ウ〜ムどうやら最近は法律よりも現実の方が遥か先を行っているような世の中だから小説を書き終わったとたんに時代遅れになってしまっている危険性もあるだろう。
やはり題材は変えた方が良さそうである。
■2014-05-04-Sunday 庭いじり
母からGW中に庭の樹の
土が減っている根元にホームセンターから土を買って来て撒いて欲しいと依頼された。
父は庭いじりが大好きで日曜日といえば庭いじりをしていたものだが、私には庭いじりの趣味はない。
父が亡くなってからは庭に土など入れたことがないものだから、土が雨などで流れて根元が露わになっている樹が多いのだ。
父の23回忌もやったことだし、GWにどこかに出掛けるわけでもないから久し振りに庭いじりをやってみることにした。
どのくらいの量を撒けば良いのか見当も付かないので、とりあえず午前中に14L入り128円の腐葉土を2袋買って来て撒いたのだがまるで量が足りない。
すぐにもう一度ホームセンターに行って更に6袋買って来て撒いたがそれでも全然足りないのだ。さすがに20数年も土を入れていないから結構な量が必要なようだ。
土の値段は一袋128円であるから大した出費にはならないが、しゃがんで土を撒くのは結構足腰が辛い作業だ。
午後からもう一度ホームセンターまで行って更に6袋を買って来た。合計14袋買って来た内の12袋まで撒き終わった時に足の裏が攣ってしまった。今日中に全部を撒き終えてしまいたかったのだが慣れないことを急に一度にするべきではない。
結局、後は明日にすることにして止めてしまった。
やってみると庭いじりというのもなかなか面白いかもしれない。それだけ私が年を取って父の年齢に近づいたということかな。
これからはゴルフのない休日には庭の手入れでもすることにしよう。
■2014-05-05-Monday よく分からない
最近はよく分からないことが多過ぎる。
妻が「しまったテレビドラマを見逃した」と言ったら、帰省していた娘が「それならユーチューブでいつでも見られるよ」と言う。
私のPCを操作して、そのドラマを映したのだが、妻は「こりゃ〜CMが入らなくてとてもいい!」と大喜びしている。
娘は海外で暮らしているが、いつもユーチューブで日本のテレビ番組が視聴できるのだという。へぇ〜今はPCで何でも出来るというか、何でも見られるんだなぁ〜と感心した。
今までユーチューブなんて見方も知らなかったから見たことがなかったしテレビ番組まで見られるとは驚いた。
よく映画館で映画が始まる前に「映画泥棒反対」の忠告が流れるがその中で「違法と分かっていてダウンロードするのも犯罪だ」と流れているが、これは違法ではないのだろうか?ダウンロードしている訳ではないし、ただ見るだけなんだから良いんじゃないの?と云うが・・・。どうなんだろう。
ユーチューブにはスゴイ映像が流れていることを知った。「マジック」も結構流れている。面白がって色々なものを見ていたら、中にはかなり「エロい」ものも流れているのだなぁ。
「ぼかし」や「モザイク」も掛けずに堂々と性交場面も流れている。これの規制って一体どうなっているのだろうか?
「エロ本」や「エロビデオ」と同じで「販売目的でなければ」所持したり見たりすることはOKなのだろうか?
こういう類のエロいものは簡単に見る事が出来ては面白くない。手に入れることに苦労と恥じらいが必要なのである。
私が大学生の頃は酒屋などの自動販売機の横にエロ本の自動販売機があって昼間は銀色のマジックミラー状のカバーで覆われていて表紙も見えないが、自販機の中の電気が点くとマジックミラーの中が透けて見えるという仕掛けになっていた。それなりに業者の方でも昼間から堂々とエロ本自販機の中身が見えてはマズイと思っていたのだろう。
それが現代は・・・。簡単に手に入ってしまうと後ろめたさがなくなってしまい、かえってヨロシクないのではないだろうか。
よく分からないことがもうひとつ。カレンダーを見たら今年のGWの5月6日(火)は振替休日だと表示されている。休日が続くと曜日の感覚がマヒして今日が何曜日だったか分からなくなることがあるが、月曜日が振替休日って云うのは分かるが、火曜日が振替休日ってどうゆうことだろう。
GWだけの特別な休日を作る法律でも出来たのかしらん。
もともと我が家は商売人に家庭であったから、GWに旅行などに行くということがなかった。しかもその習慣が未だに続いているからGWにはたいして関心がないものだから気にもしていなかったのだが・・・。
どうも、最近の世の中の出来事にはとてもついて行けていないなぁ。
■2014-05-06-Tuesday 夏物衣料
GW中は
夫婦共に帯広を離れられない理由があって、せっかくの行楽日和でも庭いじりがせいぜいである。
子ども達が入れ替り立ち替わりで帰省していたこともあって、子どものリクエストに合わせて外食が多かった為か私のお腹もまた少し太ったようである。
妻が夏物の衣料を出してきて「着てごらん」と云う。
去年買ったばかりのジャケットの腹回りがきつくて前ボタンを留めるとハツハツになって格好が悪い。
これからはクールビズの季節だからって、まさかジャケットなしで会議などには出られないから新しいジャケットを買って欲しいと頼んだら、妻は「身体に洋服を合わせるんじゃなくて、洋服に身体を合わせなさいよ!少し痩せなさい!」と云うが・・・。
帰省していた息子には坂本ビルのテナントさんの「メンズセレクション」で高額のシャツを息子が要らないと言うのに買ってやっていたのに・・・。
私が再度懇願したら「貴方のはどうせ1年ももたないんだからデパートの紳士服売場で買うのはモッタイナイ、洋服のA山ので十分」と言って一緒にA山まで行くことになった。
ジャケット売場には「2着買うと2着目半額」と云う文字がある。「これで十分!」と妻が云うが私に合うサイズのジャケットが少ない。
妻の見立てで2着購入した。2着とも品質的にはデパートで購入するのと何ら遜色がない。
5分でネームを入れると言うので頼んでからゴルフウェアの方を見に行っていた。
ネームも入ったのでレジに支払いに行ったら・・・。
2着買ったジャケットの高い方を半額にするのかと思ったら、店員のおばちゃんが「高い方は割引き除外品ですから安い方を半額にします」と云う。それなら最初から説明しろよ!ネームを入れちまった後で説明されてもなぁ〜。文句を言おうかと思ったら、そのおばちゃんが「坂本さん、いつも新聞などで御説を読ませてもらっていますよ」と言うのである。
これを言われてしまったら文句も言えなくなってしまうではないか。何だかスッキリしないが、それでもデパートで1着ジャケットを買う値段よりも安く2着買えたのだからと諦めて店を出たのであった。
意外と私も顔と名前が売れているんだなぁ〜。これからも悪い事や恥ずかしい事は出来ないなぁ〜。
■2014-05-07-Wednesday 渡辺淳一
北海道出身の作家
渡辺淳一が4月末に亡くなっていたと云うニュースがあった。
十勝にも何度も訪れていたが、我が社がまだサニーデパートと称していた頃に4階ワンフロアを使用して十勝一の在庫を誇った大型書店の「田村書店」の田村啓三社長とも親交があったという。
その渡辺淳一が1975年に発表した帯広出身の歌人中城ふみ子を主人公にした小説「冬の花火」は十勝の描写が多く出てくるが、その中に主人公のふみ子が足繁く通う場所として「坂本ダンス会館」が登場する。
坂本ダンス会館は昭和42年の火災で焼失し、その跡にサニーデパートを建設したのだから不思議な場所の縁があったのかもしれない。
ふみ子はこのダンス会館のハンサムなダンス教師のことを好きになるのである。
父は生前に良くこの話を私に聞かせてくれたものだった。
縁と云うのは実に不思議なものである。
4月27日に父の23回忌を終えたのだが、母が私に、父の友人の広橋保さんから「和昭ちゃんにダンスホールを造った時のいきさつを話しておきたい」という電話があったというのだ。
父と母がお見合いで結婚したのは昭和30年である。父がダンスホールを造ったのは昭和25年頃だし、母は留萌市の出身だから結婚前の帯広のことなどまるで知らないのだ。
そこに渡辺淳一の死去のニュースで「冬の花火」のことが話題になり、広橋さんからの電話の話へと繋がったのである。
何か不思議な力に誘導されているような気がしたのですぐに、広橋さん宅に電話を入れ近日中に取材させて欲しいとお願いしたのであった。
広橋さんも現在は体調を崩されているとのことであるから、ここは私がきっちりと取材して文章に残しておくべきであろうと思う。
■2014-05-08-Thursday 急遽
6・7日と札幌で「レーン・宮澤事件」の
集会や講演会などの行事があったが私は参加することが出来なかった。
この「レーン・宮澤事件」とは、太平洋戦争の開戦の日、日本海軍がハワイの真珠湾を攻撃した日に、日本では特高がスパイ容疑で多くの人たちを逮捕したのであった。
この時、逮捕された中には、当時北大の2年生であった宮澤弘幸さんがいる。宮澤弘幸さんは旅行先で見た根室の飛行場の話を、北大で英語を教えていたレーン夫妻に話した容疑で逮捕されたのであるが、この根室飛行場の事は新聞などにも載っていた周知の事実であって何ら軍事機密などではなかったのであるが、手柄が欲しかった特高がでっち上げた冤罪であったのだ。
当時の北大は学問の府として学生であった宮澤さんを守ることなく退学処分にして大学は知らぬ存ぜぬという態度を取ったのであった。
この事件のことは以前にこのブログに詳しく書いたので今回は詳細は省く。
この宮澤弘幸さんの実妹が、私が1995年以来親しくお付き合いさせて頂いているアメリカコロラド州ボウルダー市在住の秋間美江子(87)さんなのである。
北大が冤罪を認め学生を守らなかったことに対する謝罪などを求めて、東京方面からも多くの方々が札幌に集まり集会などを開催したのである。
今回、北大は謝罪こそしなかったものの冤罪を認めて北大に「宮澤賞」という賞を創設して英語が堪能なグローバルな活躍をした学生を顕彰することを決めたというから一応の成果であろう。
この集会に参加した方の内の3人の方が、8日午前に帯広に来られた。
一緒に六花亭本店でお茶を飲み、はげ天で豚丼を食べながら、その模様を教えてもらったのであった。
秋間さんは高齢であるし、そうたびたび日本には来られない。今回も何度も具合が悪くなって倒れたと云う。
明日9日に登別の温泉に行くという話を聞いたので同行される方の携帯の番号を聞いて連絡を入れたのであった。
秋間さんは携帯電話を持っていないので連絡がなかなか付かないのである。
電話をしたら、急遽、私たち夫婦も同行することになったのであった。
この8日午後には、私たち夫婦がこれまで帯広を離れることが出来なかった事態が無事解消されることになっていたからだ。
9日の午後から登別に行く手配をしたのであった。すると、ダンスホールの取材の件で、広橋さんから母のところに「早く(取材)に来ないといつ死ぬかも分からんぞ!」という電話が入ったので明日9日の午前中に母と二人で取材に行くことになったのであった。
これまで溜まっていた事が急激に動き出したようである。
■2014-05-09-Friday 取材
坂本ダンスホール開業秘話を
私に話しておきたいという父の友人の広橋保さんの自宅を9日午前に母と一緒にICレコーダーとノートを持って訪ねた。
広橋さんは大正14年生まれで89歳、このところ体調が悪くて酸素吸入器が離せず自宅から出られないという。
話を聞きたいと連絡したら「俺はいつ死ぬかもしれないんだからすぐにでも来なさい」と言うのである。体調の悪い中およそ2時間に渡ってお話を聞かせてもらった。
十勝毎日新聞の「論壇」と云うコーナーの私の担当の締切りが来週である。作家の渡辺淳一が4月末に亡くなったことで勝毎にも「冬の花火」のことが出ていたし、タイミングとしてはちょうど良いかもしれない。
これも「この時期に書きなさい」ということなのだろうと思った。
広橋保さん夫婦もダンスによって結ばれ縁なのだという。
坂本ダンスホール(会舘)が開業したのは昭和25年頃であるという。終戦直後の昭和20年頃からダンスが流行り始めていて、帯広でも「十勝会舘」などでダンスパーティが開催されると300名以上の参加者があって大盛況であったそうな。それに目を付けたのが私の祖父の勝であったという。
私はてっきりダンスに夢中だった父の圭司が、頑固で厳しい祖父を拝み倒してダンスホールを造ったのだと思っていたのだが、先見の明があった勝の方が商売として社交ダンスに魅力を感じていたのだそうだから話は聞いてみるまで分からないものである。
昭和24年頃に、父は両親(勝とはな)と広橋さんと4人で毎晩のようにストーブを囲んで夜中までダンスホール開業のことを話し合ったという。
ダンスホールの開業には社交ダンス教師の資格と風俗営業の許可が必要だということで、父坂本圭司と広橋保と萩野重義の3人が3ヶ月間札幌に行って、それぞれの親戚や知人の家に下宿しながらその資格を取得して来た。
風俗営業資格交付では北海道の第一回目の講習であったそうな。
当時、札幌の狸小路6丁目に1階がグランドキャバレーで、その2階に杉山ダンス教室という教習所がありそこに通ったのだという。3人が習ったのは本格的な英国のアレックス・ムーア流の社交ダンスであったという。
男性は燕尾服、女性はドレスを着て踊るものである。
一方帯広では祖父が西2条南9丁目の坂本勝玉堂の南側の空き地になっていた場所に2階建のダンスホールを建設していた。
最初に造った建物は木造で、客が入って踊ると建物が揺れて危険だということですぐに鉄骨を入れた建物に直したという。それが昭和25年頃のことだという。
勝毎の林克巳社長を会長にして「坂本ダンスホール会」というのを作り、平日はレッスン、土日はダンスパーティを開催したという。
渡辺淳一の小説「冬の花火」には主人公の中城ふみ子が足繁く「坂本ダンス会館」に通ったという描写が出てくるが、当時は西2条南9丁目の路上がダンスホールに来た客の自転車で埋まったという。
土日のダンスパーティには250〜300名ほども客が集まり大盛況だったそうな。
モダンな事が好きだった祖母のはなばあさんも踊っていたという。
いかに娯楽が少ない時期とはいえ、帯広市の人口がまだ7〜8万人程度であったことを考えると物凄いヒットであったろう。
広橋さんも富士銀行、北電、雪印乳業などの職場のサークルに指導に行っていたという。当時の若者にとっては社交ダンスは唯一の異性との出会いの場でもあったのだろう。未だに年配の方から「私たち夫婦は坂本ダンスホールで知りあって結婚したのよ」と言われる事が多い。
どうやら坂本ダンスホールは縁結びの役割も果たしていたようだ。
母は留萌の出身で昭和30年に父とお見合いで結婚したからこの辺りのダンスホール開業のことは知らないのだ。
父は生前に「俺は若い頃はモテてモテてすごかったんだゾ」と自慢していたが、広橋さんも「圭ちゃんはハンサムだったから物凄くモテた!あんまりモテ過ぎて帯広の女性を結婚相手にしたら揉め事になりそうだったから、遠い留萌から母を嫁さんにもらったんだ」そうな、この話は冗談なのかそれとも本当のことなのだろうか?
まぁ、当時は終戦直後で男性の数が少なかったからなぁ〜・・・。
■2014-05-10-Saturday 秋間美江子さん
9日の午前中に
広橋保さんの取材を終えた後に、妻と二人で急遽列車に乗って登別温泉の第一滝本館に向かう。
先般、ブログにも書いた「レーン・宮澤事件」の宮澤弘幸さんの妹の秋間美江子さんに会う為である。
8日の午後まで帯広を離れることが出来なかった事情があったが、それが解決した途端にそれまで停まっていた事態が急激に動き始めたようでやたらと忙しくなってきたのだ。
この動けなかった理由については後日じっくりと書くことにする。
慌ただしく13:01帯広駅発の列車に乗って南千歳駅で乗り換え登別駅まで行きそこからタクシーで登別温泉の第一滝本舘まで向かうが、第一滝本舘に泊るのは小学3年生の時に家族旅行で行って以来である。
その時には大きなお風呂ではしゃいで足をやけどした記憶が残っている。
はしゃいでと言っても普通にお風呂に入っただけなのだが・・・。当時はかなり熱いお湯(と言っても火傷するくらいだからおそらく45度以上の温度のお湯が出ていたのだと思う)が出ている場所があった。そのお湯の出口に近付いて火傷をしたのである。
私が悪い訳ではないのに、何故だか私が「そんなところに行くからだ」と怒られたのであった。現在なら、クレーマーならずとも火傷をするような温度のお湯をそのまま出している温泉が悪いとクレームを付けるところであろうが・・・、そういう時代であったのだ。それ以来の第一滝本舘である。
あいかわらず大きな温泉旅館である。17時頃に到着した。
秋間さんと同行の男性Gさんの2人が待っているが、先に温泉に入っていると云うので、18時半に部屋で一緒に食事する約束をした。
秋間さんは携帯電話を持っていないから連絡を取るのが非常に困難なのであるが、今回はGさんの携帯番号を聞いていたので何とかかんとか連絡を取る事ができたのであった。
温泉に入る前にホテルのすぐ傍にある「地獄谷」を見学に行った。客はほとんどが中国人と韓国人の団体さんばかりである。
長く硫黄の臭いを嗅いでいると気持ちが悪くなるのですぐに引き上げて温泉街をブラブラと冷やかして歩いた。
温泉街もかつての面白みのある街ではなくなっている。ホテルが土産屋からラーメン屋からカラオケまであらゆる施設をホテル内に造って囲い込みをしてしまうから温泉街が廃れてしまうのだ。
私は浴衣姿の下駄ばきで温泉街を闊歩するのが好きなのに、誰もそんな姿の客はいない。これでは温泉街の非日常的風情がまるでなくて残念である。
18時半に私たちの部屋に4人分の食事が運ばれて来て、秋間さん達と合流し、美味しい食事と話しに花が咲いた。会うのは2年振りである。
秋間さんは87歳と高齢で、しかも全身に癌を抱えている。千歳空港に到着した際も具合が悪くて倒れて救急車で運ばれたという。
しかし、私達と一緒の時は、とてもお元気であった。
「レーン・宮澤事件」では北大は謝罪こそしなかったものの「宮澤賞」の創設を約束したので一応の満足をしたという。
アメリカのボルダーから満身創痍の身体でたびたび日本に来るのはツライことであろうが、この問題が解決するまでは死ぬに死ねないという心境なのではなかろうか。
秋間さんは3.11の東日本大震災の時にもアメリカの医者やボランティアを率いて約半年間も被災地でボランティア活動をされていたというから頭が下がる。
被災地では満足な食事も泊る所もなかったという。
まさにボランティア精神の塊のような女性である。秋間さんと知り合いになれて親しくさせていただくことにありがたい思いがこみ上げてきたのであった。
■2014-05-11-Sunday 札幌で
10日の土曜日
秋間さん達と一緒に第一滝本舘の朝食のバイキングを食べた。
8:15までNHKの「花子とアン」を見てからの食事である。会場は9時までとなっているが、私は食べるスピードが速いから朝食なら10分もあれば十分なのであるが・・・。
秋間さんは食べるスピードがゆっくりであるし、食べる量も私の倍は軽く食べる。長生きする人は食が太いようだ。
ホテルの女性従業員が秋間さんのエスコートをしてくれるので安心して私たち夫婦は自分のモノだけを取って食べ始めた。
秋間さんのお盆には沢山の食べ物が乗っている。秋間さんはホテルの女性に冷奴にハチミツをかけて欲しいと要求したそうだがあいにくハチミツは置いてなかったようである。納豆も嫌いだと言うし、アメリカ生活が42年以上と長いから味覚がかなりアメリカ人ぽくなっているようである。
話しに花が咲いて朝食時間の9時を20分もオーバーして食べ終えた。朝食に1時間掛ける日本人は少ないだろう。
朝食会場でお別れをして、私たち夫婦は早目にタクシーで登別駅に向かった。登別から札幌までの指定席は1席しか取れなかったから自由席待ちの先頭に並ぼうと考えたのである。
駅に入って来た列車を見て愕然とした。
列車は超満員で通路にまで客が立っている。妻だけ指定席に座って札幌まで爆睡したという。私は南千歳駅から座ることが出来たが久し振りにギュウギュウ詰めの列車に乗ったのであった。
札幌にはもうひとつ気掛かりになっていたことがある。それは4月26日に64歳で亡くなった仲の良かった従兄弟の晴則の葬儀に、父の23回忌の日程が重なった為に出られなかったことである。
夢枕にも立ってくれたほどだから線香の1本でもあげたいと思っていたのである。
晴則の家には私が大学生までは泊めてもらっていたが、さすがに社会人になってまで泊る訳にもいかないので卒業後はホテルに泊っていた。
その間に2回家を替わっているから現在の家にはまだ行った事がない。奥さんの陽子さんは晴則の同級生で、結婚した時から私がしょっちゅう泊っていたから気軽に話ができる仲だ。札幌の中心街まで車で迎えに来てくれた。
従兄弟のマンションに行って遺影に線香をあげた。遺影は家族写真からトリミングしたという笑っている写真である。父と同じ病気で亡くなった年齢も同じ64歳。平均寿命が80歳以上の日本で64歳は早過ぎる。良い写真であるが故に逆に悲しく感じた。
1時間半ほど話し込んでしまった。思い出は尽きない。
しかし、線香をあげることが出来て心に引っかかっていたトゲがようやく抜けた感じがしたのであった。
再び中心街まで送ってもらい。介護業界の展示会に行っていた妻と合流する。帯広の北の屋台の卒業生で時計台ビルの地下で中華料理店をやっている「順香(しゅんしゃん)」に行ったが予約で満席で食べられなかったので挨拶だけしてきた。繁盛している様子で嬉しいことである。
■2014-05-12-Monday 初ゴルフ
11日は今シーズンの初ゴルフ!
帯広青年会議所のじゃがいもクラブの今年度第一回目のコンペである。
前日まで慌ただしく登別や札幌に行き、自宅に戻ったのは23時である。札幌ではあちらこちらとやたら歩き回ったから足の筋肉がパンパンに張っている。
こりゃ〜今日のゴルフはダメだろうなぁ〜と思っていたが・・・。
ダメだと思っているからリキミもなかったのだろう。ボールは全然曲がらずにまっすぐフェアウェイに飛んで行く。帯広は4月から雨がほとんど降っていないから地面はかなり固くて、コンコンと転がって行く。
リキミが無い分真っ直ぐ飛ぶので距離も出る。
ショットは完璧であった。
ただグリーンはエアレーションと云って穴を開けていて砂を撒いているから重たいし、穴で右に左にヨロヨロと曲がってしまい3パットを4回もしてしまった。
それでもスコアは中コースが42打、東コースが40打であった。最後の東の9番でバーディパットを欲張って3パットしてボギーにしなければと悔やまれた。
上がってみたら、なんと私がベストグロス賞で5位である。東9番をパーで上がっていれば準優勝するところであった。
今年の初ゴルフからこのスコアで上がれるなら上出来である。今年はすこしゴルフを頑張って、この出っ張ったお腹を引っ込めるようにしようと思う。
景品の商品券を渡せば妻も文句は言わないのだから。
■2014-05-13-Tuesday 嫌〜な気分
12日に私が役員を務める組織の
役員会と総会が市内のホテルで開催された。
平成25年度の決算報告・事業報告や平成26年度予算案・事業計画案などが承認され無事に終わるかに思われたが・・・。
役員改選の段になって、役員ではない一般会員の出席者から挙手があり「ある人物(固有名詞はあげていない)を会長に推挙したい」旨の発言があった。
どうやら、この総会の前に何度も開催されている役員会で選ばれた人物とは異なる人物を推挙したい様子なのである。
私はこの事態になることをある程度想定し心配もしていたから、新役員に忠告していたのだが、新役員の人たちは「まさかそんな大人気ないことはしないだろう」と考えていたようなのだ。
規約上ではもちろん「総会」が最高決議機関であるから「役員会」で決めた事項を総会での多数決によって制することが可能ではあるのだ。
しかし、もしも本当に役員会の結論を、総会でひっくり返して逆転決議するつもりならば、ひっくり返す側の総会への出席者数が明らかに不足している様子であるから何か変な感じがしたのだ。
多数決という決議方法になった際には過半数が必要なのに、明らかにそれには満たない数の人間しか出席していない様子なのである。
推挙したい人だと想定される人物もこの総会には出席していないのもオカシイ。
もしも多数決になってその人物が新役員に選ばれたならば就任の挨拶をしなければならないからだ。
もしも、他人に推挙されるという手段よりも自身で立候補すると云う手段を取っていたら、状況はもっと別なものになっていたかもしれない。
一般席に座っている数名の発言にも迫力がない。何だか発言者も望んでもいないのに嫌イヤながらやらされているような感じがするのである。
強引に多数決に持っていこうという気概も無いようである。
何だか全てにおいて中途半端な感じがした。
もし仮に強引に総会で結論をひっくり返したとしても、会が割れるだけであるし、その人物についていく人も少ないであろうから、会の運営は難しくなるであろう。
それが分かっているからこそ、これは新しい船出をスムーズにさせない為の単なる嫌がらせにすぎないのではないだろうかと思ったほどだ。
自分が選ばれなかったことが悔しくても、総会に出席して新役員に握手でもして祝福したらまだ恰好が良かったのに・・・。
これでは男を下げる(こう書くと女性に失礼であるが)だけである。
誰か「陰湿で格好悪いよ」と助言する人が近くに居なかったのだろうか?
結局は長老の一喝で事態は一応終息したようにみえるが・・・、実に残念で後味の悪い、嫌〜な気分がした総会であった。
■2014-05-14-Wednesday 年寄りってものは
人間、年を取ると
一日中暇なものだから、何か気になることが出来ると四六時中そのことばかりを考えてしまうのだろう。
今年84歳になった母が我が家の隣に住んでいる。ほぼ毎日夕食を我が家で一緒に食べているが、先日、母から「ベランダの鉢植えを庭に植えてもらったら、ベランダの床のフローリングに鉢植えの水滴が落ちてシミになっている場所があって格好が悪いので、そこにカーペットでも敷いてシミを隠して欲しい」と頼まれた。
「じゃぁ今度の土曜日にでもホームセンターに連れて行ってあげるから、そこで気に入ったカーペットを選んで大きさに合わせて切ってもらおう」と言ったのだが・・・。
私は毎朝仏壇に線香をあげに母の家に行っているが、その際に母にお灸をしている。もうここ3年間は続いている毎朝の行事である。
今朝行ったら・・・。
裁縫用のビニールの1.5mほどしか測れない巻尺と紙と鉛筆を用意してあって、これで測って欲しいと言う。
ベランダの幅は80㎝ほどだが長さが4mほどもあるので、その巻尺では何回かに分けて測らなければならないから寸法が狂ってしまう可能性があるので我が家にある5m測れる巻尺で土曜日に買いに行く直前に測ってあげるよと言ったのだが、待てないのか自分で測り始めるので、仕方なく私が自宅に戻って巻尺を持参してきて測ってあげたのであった。
昨日今日出来たシミでもあるまいし、誰かお客さんが来る訳でもないのに・・・、寸法が分かったら、今度はすぐにカーペットを敷きたくなったのだろう。土曜日まで気になってしまうから待てないと言い出した。年寄りはこれだから困る。
これから毎日、土曜日までグチャグチャと言われるのも嫌だから「明日買って来て敷いてやる」と言った私の言葉を聞いた妻が「親になんて口のきき方をするの!」と怒る。妻だって自分の親には結構乱暴な口調で話しているくせに・・・。
母の頼み事にイラつき、妻には叱られる。まさに災難である。
以前に犬を飼っていた時に、我が家の廊下に量り売りのジュータンを買って来て敷いていたのを思い出し、ホームセンターに行ってジュータンを寸法通りにカットしてもらって来た。
暖房器具の足の部分を私がカッターで切ってキレイに収まるようにジュータンを敷き詰めたら母もようやく満足したようである。これでしばらくはOKだろう。メデタシ、メデタシ。
■2014-05-15-Thursday 北の屋台卒業生
北の屋台を卒業し
帯広市内の大通り8丁目いなり横丁の「おでん大学」さんの後に5月初旬にオープンした「北の丸源」に友人と2人でお祝いがてら飲みに行って来た。
店の大きさは北の屋台の時よりも若干大きいくらいのこじんまりしたお店である。
以前にここにあった「おでん大学」という店には1度だけ誰かに連れて来られたことがあるがあまり店の記憶はない。
その「おでん大学」を半分にして2軒の店に分けたのだと云う。
店主の小杉さんは北の屋台第2期の時に、北の屋台の理事者らで作った会社「地遊舎」の社員として屋台店主を務めてもらい。その後、彼は北の屋台内で独立して第4期まで屋台で営業していたのであった。
小杉さん曰く「自分は北の屋台で約10年やらせてもらったが、やはり屋台の店主は北の屋台からの卒業をしなければならないと思います。黙っていても客が来る北の屋台にいれば商売は楽かもしれないが、それにどっぷりと浸かってしまうと独立が難しくなってしまいます」「後進にも道を譲らないと・・・」との言葉に「その通り」と我が意を得た。
当然ながら北の屋台の時とは商売の仕方が異なるが、「食」で生計を立てていく以上は色々なことを経験しておいた方が将来の為になるだろう。
ましてや小杉さんは、まったく別の職業から参入してきたのだから尚更であろう。
全くの素人が、北の屋台で商売のコツを覚え、顧客を獲得し、開店の資金を貯めて独立開業する。
まさに北の屋台の創業の精神を体現してくれているようで、嬉しいし、頑張ってもらいたいと思う。
店内に開店祝いの祝儀袋などがたくさん飾ってあったが、北の屋台の組合からや理事者からのものは見受けられなかったのが残念なことである。
卒業生の成功こそが北の屋台の真の目標なのだから。
「北の丸源」を出た後で、今度はもう一軒、北の屋台の卒業生の店「タベルナ・センナリ」さんに行って来た。北の屋台卒業生の店のはしごである。私にとっては北の屋台の卒業生の店をはしごできるのは至上の喜びである。
■2014-05-16-Friday 結婚記念日
今日5月16日は
私たち夫婦の29回目の結婚記念日である。
よく29年間も結婚生活が続いたものである。妻とは小学の時からの同級生なのだから・・・。
我が夫婦は会社も一緒だからほとんど四六時中一緒に居る。よく夫婦でカラオケや映画や外食に行ったりするのだから傍から見ても仲の良い夫婦であろうと思う。
ちょうど長女が帰省していたので、母と娘と夫婦の4人で食事に行くことにした。
このところ何かのお祝い事や記念日にはレストランの「ホーム」を使うことが多い。
「ホーム」の前身とも云える「ドラゴン」は我が家の店子さんだったこともあるし、同じ町内会ということもあって、昔から味に親しんでいるから、帰省して来た家族は「ホーム」で食べたいと言うのである。
きっと懐かしい味がするのであろう。
まだ若くてスポーツをしている娘は食欲もあるのだろう、フルコースを注文したが、母をはじめとして中年以上の人間はボリュームのある食事は出来なくなっている。
母と妻はミニステーキ(100g肉)のコース、私はステーキコース(180g肉)を注文したのだが、全員お腹一杯になって満足した。
味も良いし、素材も良いからとても美味しい。
カラオケに行こうかと思ったが、お腹が一杯になってこれ以上飲み食いは出来そうにないから、一旦自宅に戻って落ち着いたら、温泉に行くことにした。娘は「帯広は食べ物も美味しいし、温泉に気軽に行けて良い場所だね」と言うが、私も素晴らしい場所であると思う。
娘は温泉にじっくり1時間30分も入っていたいと言うので付き合った。妻と行く普段でも1時間10〜20分は入っているので10分ぐらい伸びても長いとは感じない。
自宅に戻ってから古いアルバムを引っ張りだしてきた。
私たちの結婚式や新婚旅行などのアルバムである。
私の昔の写真を見て娘が「パパって、若い頃はハンサムで細くて恰好良かったんだね」と言うから嬉しくなった。過去形であるのが気になるが・・・。
写真アルバムを眺めるのは結構楽しいものである。
■2014-05-17-Saturday 地震?
我が家の寝室の壁に掛けてある
電波時計は地震の予知をする時計であることはかなり以前のこのブログにも書いている。
その後も、大きな地震が起きる1〜3日前にはグルグルと回り始めて教えてくれているが地震が頻繁に起きるので書くのを止めたのであったが・・・。
夜中の1時ちょうどにグルグルと回り始めて1周か2周して正確な時間に戻りその後は正常に動くのだ。
そのグルグル回りがあると日本のどこかで震度3以上の地震が発生しているのである。
このところの地震も正確に予知していたのはいうまでもないが・・・。
その時計が17日の夜中からグルグル回り始めて止まらない。17日の午前10時の現時点でもまだグルグルと回り続けている。
その内電池が切れて止まるであろうが・・・。
このグルグル回りの原因を、私は「電磁波の乱れ」であると推測している。
おそらく電波時計が正確な時間を表示する為に、自動的に電波をキャッチして時計の狂いを修正しているのだろうが、その電波が電磁波によって乱されて、キャッチ出来ずに、グルグル回るのではないかと考えている。
電磁波は地震が起きる前に、地面のこすれなどで発生することは知られている前兆でもある。
いつもなら2周回って収まるのに、今朝はまだ回っているから電磁波の乱れが激しいのかもしれない。
これは、ひょっとするとかなり大きな地震が発生する前触れなのかもしれないなと心配している。
現実にならなければ良いのだが・・・。
■2014-05-18-Sunday ヘッ!
春から夏に掛けて
涼しい時に羽織るカジュアルなジャケットというかジャンパーというか、去年買ったそれを風が強くて寒いので引っ張り出して着てみたら・・・。
お腹が出過ぎて前のファスナーが閉まらないのである。
妻に新しいのを買って欲しいとねだったら「まったく不経済な身体ね。貴方は私の何倍もの数の洋服を持っているのよ。普通は逆でしょ!」と怒って言う。まったくその通りなのだが、着れないものは仕方がない。
「じゃぁ新しいのを買ってあげるけど、押し入れの中を片付けてちょうだい!」とシッカリ交換条件を付けられてしまった。
ちょうどこの前にジャケットを2着買ったA山から50周年記念セールのハガキが着ていたし、その時のクジで1千円割引券が当たっていたのを思い出したので探し出して買いに行ったのであった。
私が選ぶモノと妻が選ぶモノとはまるで好みが合わない。私が選んで「これが良い」と云うと「センスが悪い。こっちの方が似合う」と別なモノを押し付ける。
お金を払ってくれるのは妻だから従わざるを得ないと諦めて、妻が選んだモノを買うことにした。
値札にはレジで10%割引と付いている。レジカウンターに持って行くと前回買った時のおばちゃんが居てしっかり私の事を覚えていて「坂本さま、おハガキが届いていませんでしたか?」と言うので持参したハガキを差し出した。
今度は「坂本さま、携帯電話はお持ちですか?それに割引きのメールが入っていますよ」と言うのでA山のメールを表示して渡した。
またまた「坂本さま、A山カードはお持ちですか?」と聞くのでカードも渡した。すると「坂本さま、前回当選された割引券はお持ちですか?」と言うのでそれも渡したのであった。
何やらレジでいろいろ作業をしていたが「坂本さま、お会計は1595円になります。」と言う。
おもわず「ヘッ!1595円?」と声が出てしまった。
「会計はカードでなさいますか?」と聞くので「えぇ〜」と答えたのであった。
しまった!押し入れの後片付けを交換条件に妻に払ってもらうはずだったのに・・・、あまりに安かったのでそのまま私がカードで払ってしまったのである。
妻もニヤッと笑っていたが、店を出た途端に「1595円?信じられない。これで商売が成り立つの?」と驚いていた。
安くて良かったのだが、あまりに安過ぎるのもナンダカナァ〜・・・。
■2014-05-19-Monday 坂本ダンスホール
十勝毎日新聞5月19日「論壇」掲載
「坂本ダンスホール」
4月末に亡くなった作家渡辺淳一の小説に「冬の花火」という帯広出身の歌人中城ふみ子を主人公にした作品があるが、ふみ子が足しげく通う場所として「坂本ダンス会館」が登場する。
このダンスホール(会館)を造ったのは先頃二十三回忌を済ませたばかりの亡父圭司である。
父の友人で一緒にダンスホールを造るのに尽力した広橋保からタイミング良く「いきさつを伝えておきたい」という連絡があったので取材してきた。開館したのは昭和25年(1950)であるから同30年にお見合い結婚した母はいきさつを知らないのだ。
戦後すぐに、十勝会館で開かれたダンスパーティに300名以上もの若者が集まったのを見て商売になると目をつけた祖父の勝は、学生時代からダンスに夢中だった父と広橋と萩野重義の3人を、札幌の狸小路6丁目にあった杉山ダンス教習所に、ダンス教師の免状と風俗営業の許可を取得させに3ヶ月間、行かせたという。まだ北海道には本格的なダンスホールが無い時代だったというから先見の明があったのだろう。私はてっきりダンスが好きだった父が頑固で怖かったという祖父を口説き落してダンスホール開業に結びつけたのだと思っていたのだが・・・。
父らが習ったのは北大の松田武雄教授が英語の文献を翻訳した本場英国アレックス・ムーア流のソーシャルダンスで、男性は燕尾服、女性はドレスを着て踊る正統派であった。
西2条南9丁目の坂本勝玉堂南側の空地になっていた場所に「坂本ダンスホール」を開店したが、最初の建物は踊ると揺れて危険なのですぐに増強して建て直した。
当時の十勝毎日新聞社の林克己社長が「坂本ダンスホール会」の会長に就任し、平日はレッスン、土、日曜はダンスパーティを開催、一晩に250人以上の客が訪れ、西2条の道路が端から端まで自転車で埋め尽くされるほどの大盛況であったという。昭和22年の人口が約4万7000人であったことを考えるとすごい人数である。
坂本ダンスホールの流行り様が大評判になり全国各地から視察が絶えなかったという。富士銀行、北電、雪印などの職場ダンスサークルにも出張教授に行ったそうだから当時の若者を夢中にさせていたのかもしれない。
娯楽の少なかった当時、ダンスホールは異性と知り合うことができる唯一の社交場でもあったのだろう。いまだに年配の方から「坂本ダンスホールで知り合って結婚した」と声を掛けられることがある。どうやら縁結びの役割も果たしていたようである。(文中敬称略)
■2014-05-20-Tuesday ホールインワン
ゴルフのショートホール(パー3)で
ティショットの第1打が直接カップインすることをホールインワンと言う。
ゴルファーの憧れのショットであるが、私は30年間のゴルフ人生でまだ一度も達成したことがない。
そのホールインワンを6度も達成した人が居る。
地元の金融機関のゴルフクラブで一緒にプレーしているTさんと云う方だが、80歳を(たぶん)過ぎていても、ほとんど毎日のようにプレーをしている元気な方だ。これまでにエイジシュート(自分の年齢よりも少ない打数で上がること)も20回ほども達成しているというからスゴイ。
私のこれまでの最高スコアは73打である。しかもここ近年は70台のスコアで上がったことはない。
短命であろうと思っている私がエイジシュートを達成できることはまずあるまいから、せめてビギナーズラックもあるホールインワンだけは一度だけでも達成してみたいものである。
このTさんが去年2度のホールインワンを達成した記念のコンペが20日に開催され、私も招待されたので参加して来た。参加人数が74名という大きなコンペである。
そのコンペのショートホール(155ヤード)で私たちの後ろの組の人が打った球が「ア〜ッ入るゾ!入るゾ!」と言っている内に見事にカップインしてホールインワンになったのだ。目の前でホールインワンを見たのは2度目である。一度目は同組の人であったが、今回は後ろの組の人であったから、これでまた一歩遠退いてしまったかな?
しかも、このホールインワンを達成したIさんは、去年Tさんが2度目のホールインワンを達成した時にTさんと同じ組で回っていたのだと云う因縁があったのであった。
挨拶でも、ホールインワンコンペでホールインワンを達成したら、また記念のコンペを開催しなければならないから、これが続けばズ〜ッと記念コンペを開催し続けなければなりませんね。なんて言っていたのであった。
うらやましいなぁ〜。ホールインワンの保険料は3万円余であるからこれまでの30年間で100万円ほども支払っている勘定になる。もうそろそろ元を取らせてくれても良さそうなものだが・・・。
私も早くホールインワンをやりたいものである。
■2014-05-21-Wednesday 最近のニュースから
ここ1〜2日間のニュースには
「?」マークが付くような事件が多いように感じる。
まずは、シンガーソングライターのASKAの覚醒剤事件である。
昨年の8月に週刊文春でASKAの薬物使用疑惑報道があった。この手の報道があって、しかも有名人とあれば、警察に取ったら格好の見せしめ材料であろう。有名人が逮捕されれば、薬物使用犯罪の抑止にも繋がるであろうから、逮捕の為に内偵に入ったであろうことは素人目にも想像はしていた。
この種の犯罪の逮捕は現行所持がほとんどであるらしいからASKAも、去年8月の報道時点でキッパリと止めていれば良かったものを・・・。
しかし、止められずにいたのであろうなぁ〜。これだから薬物依存というのは怖いものである。
でも、ASKA容疑者まだ否認しているというから、これも訳が分からないなぁ〜。
以前に薬物所持や使用で逮捕されたASKAと同じミュージシャンのJ−WALKのボーカルがインタヴューに答えていたが・・・。
もうひとつはPC遠隔操作事件の片山被告が「真犯人メール」を自作自演して自爆したことだ。
裁判の行方は「冤罪」の方向に傾いていたように感じたのだが・・・。
おそらく警察は保釈中の片山被告の行動をズ〜ッと監視していたのだろうなぁ。スマホを埋めたところをしっかり警察に見られていたというから間抜けな話しである。
まさに「自ら墓穴を掘った」典型のような事件になった。
こういう事例を見ると、警察が優秀なのか、それとも犯人が抜けているのか判断が難しいなぁ。
「冤罪」というのは絶対にあってはならないが、札幌のガスボンベ事件などはいったいどうなるのだろうか?
メディアの報道の仕方にも問題がありそうな気もするし、断片的な情報だけで探偵にでもなった気分になるのは止めにしなければならないなぁ。
■2014-05-22-Thursday 昨日一日
昨日はなんだか長〜く感じる一日であった。
まずは昨日のブログで「ASUKA」と表記したいたら、私のブログの愛読者の方から「U」は不要で「ASKA」と表記するのが正しいとのご指摘をいただいたので早速修正しておいた。
私も「かずちゃん」と呼ばれていているから「KAZUCHAN」でアドレスを登録しようとしたのだが、既に誰かが登録済みであったので「U」を抜いて「KAZCHAN」と表記している。これと似た様なものかな。
まぁ、そんなことはどうでも良いことだが・・・。
5月17日のブログ「地震?」で書いた電波時計のグルグル回りの件であるが「1〜3日後に震度3クラスの地震が起きる」と書いたのだが、実際に19日に青森方面で震度3の地震が起きた。
私の予想する「地面のこすれによる電磁波の発生が地震の予兆で、我が家の電波時計はその電磁波の乱れを敏感に感知してグルグル回りをする」というのは当たっているとは思うのだが、電磁波の乱れの強さと震度の強さは比例しないのかもしれないなぁ。
しかし、今日(22日)未明にもまたこの電波時計がグルグル回りをしたから、1〜3日後には日本のどこかでまた地震が起こるはずである。
青森と函館の間の津軽海峡付近の地面の歪が少しずつ大きくなっていて電磁波が発生しているが、その歪みが頂点に達して、今度は揺り戻される可能性もあるのではないだろうかと考えているが・・・。
こればかりは良く判らない。
誰か私の電波時計を詳しく調べてみる学者はいないだろうか?
■2014-05-23-Friday デート
5月16日は
私たち夫婦の29回目の結婚記念日であったが、夫婦2人だけでのお祝いは、まだしていなかったので今日は2人きりでデートをしてきた。
まずは、これまでにまだ一度も行った事のない店に入って食事をしようと店を探したら、西3条南10丁目の井上酒店の北側に洒落たレストランを見つけた。
去年の11月頃には工事をしていたのを何度か通って見ていたのだが、今年の春に樹を植える工事をしていたのでしっかり完成してから入ることにしたのだ。
看板等が大きく出ていないので店名が分からず予約の電話も出来なかったが、事前にいくつか仕入れた情報ではイタリアンの店だという。とりあえず直接行ってみることにした。もしも混んでいて入れなかったら別な店に入るつもりでいた。
エントランスから入口までのデザインもなかなか凝っていて面白い店だ。予約無しでも2人ならOKだということで案内されたのがガラス張りの道路側(西2条西仲通り)に面した席であった。一応は道路との間に樹があるが樹がまだ十分に育っていないので道路から丸見え状態だったので、妻が奥の席に変えてもらったのであった。
初めての店は何を頼んだら良いのか分からないところもミステリアスで面白い。まずはスパークリングワインで乾杯をしてからメニューを見て注文をした。
シェフと給仕の女性の2人で切り盛りしているようだ。席数はカウンターを入れても24〜5席といったところであろうか。
メニューには2人前だと書いてある。我々夫婦の胃袋は小さいからあまり多くの種類は頼めないなぁと思った。とくに初めての店は一皿の分量の見当も付かないから注文を多くし過ぎて残してしまうのも失礼なことになる。
迷って給仕の女性に聞いたら、2皿にずつに分けて持って来ますよというので、サラダ、パスタ、肉料理の3品だけ注文することにした。
出て来た量は、いずれもおしゃれな一口サイズであった。味も美味しかったのでもっと沢山頼めば良かったと思ったが、後から注文すると料理の順番が後先逆になってしまうのでまた今度の機会にすることにしてその3品だけにしたが、サラダも自家製麵生パスタも牛肉の赤ワイン煮も材料にこだわりを持っている感じがした。
ここの店のコンセプトはお腹一杯に食べる場所というよりは、色々なワインを数種楽しみながら、ワインに合わせた料理を少量楽しむ場所のようである。こう云う洒落た店が帯広にあっても良い。
会計をする段になって始めて店の名前を聞いたが「YOSHIYUKI」という店名である。また何かの機会に訪れてみたい。
妻が映画までの時間にカラオケに行きたいと云う。「ありのままに」をマスターしたいのだという。私もカラオケが好きであるからお付き合いをすることにした。1時間30分交互に歌いまくってから映画「ネイチャー」を観に行く。
私はこの手の自然のドキュメンタリー映画も大好きなのである。3D映画で映像が実に素晴らしい。撮影には相当な手間とお金が掛かっている映画であろう。大満足して帰り、楽しいデートを終了したのであった。
■2014-05-24-Saturday 土曜日
昼まで寝ていた。
私は何時間でも寝ていられる特技がある。1日中ベッドに寝ていても夜に眠れないということもないのだから不思議である。これは我が家の男性の特徴の様で、父も私もそうであるし、息子にもそのDNAは受け継がれているようなのである。
妻から「もういい加減に起きたら?」と言われて昼食を取るためにようやく起きたのであった。
先日「坂本ダンスホール」の件で取材に行った広橋保さんからお借りした古い写真をカメラ屋さんでコピーしてもらったので返還に行った。スキャナーで取り込んで色を調整するそうだが、キチンとセピア色の写真に仕上がっている。
広橋さんの玄関先で写真をお返ししてすぐに帰ろうと思ったのだが、ついつい話し込んでしまい。車の中で待っていた妻をかなり待たせてしまった。
広橋さんのお宅は一中の近所であるが、その近くのラーメン屋の「どでかラーメン」に入って昼食を取ることにしたが・・・。
店内は土曜日の昼食時でとても混んでいた。厨房近くの席に着いたが、私の姿を見掛けた店主の吉川修さんがわざわざ厨房から出て来て「坂本さんようこそ!帯広の発展の為にますます頑張ってくださいね」」と挨拶をしてくれる。この辺りに来る事は少ないから、かなり以前に一度来ただけなのであるが・・・、新聞等に顔が載るといかにも活躍しているように見えてしまうのかもしれないなぁ〜。
恐縮していると注文したラーメン以外に餃子を出してくれて「サービスさせて下さい」と言ってくれたのであった。
サービスしてもらえるのはとても嬉しいことだが、最近まちづくりを頑張っている訳でもないから何だかとても恥ずかしい気分であるが、ラーメンも餃子も美味しくてとても満足した。
家に戻って植木鉢の土の入れ替えをやったら、また疲れて昼寝した。妻からは「そんなに眠ってばかりでよく身体が腐ってしまわないね。一体何時間寝るの。信じられない」と言われてしまった。
夜に温泉銭湯に行ってたっぷり汗をかいてお酒を飲んだら、またぐっすりと眠る事ができた。今日一日で15時間位は眠ったかなぁ〜。
■2014-05-25-Sunday 日曜日
今朝は8時半に起床
さすがに昨日15時間も寝ているともう眠くはない。
母の家にお灸に行った後で鉢植えの土の入れ替えをやった。今日は大きめの鉢である。
結婚した時にいただいた「ソテツ」がかなり大きく育ってきた。3つの株が一つの鉢に植わったものをいただいたのだが、大きくなってきたので何年か前に一番大きな株を別な鉢に移していたのだが、二つで植えていた鉢も窮屈そうな感じに見えるので、これも一株ずつ分けて植えることにしたのである。
ソテツの葉が鋭く尖っているので腕などに刺さって痛い。
その他の鉢植えも入れ替えたので結構時間が掛かってしまった。
外は天気が良いから、妻に「今年初めての外でのジンギスカンでもやるか」と提案したら、私が全部用意するならとの条件付きでOKが出た。
それでもいざやる段になったらやれ外に干してある洗濯物を取り込まなければならないとブツブツ言う。
いつもなら母や妻の両親も誘うのだが、母はどこかに出掛けたようで不在だし、近所に居る義父母も出て来るのがしんどくなっている。
結局、妻と二人だけでのBBQである。
やはり、外で食べるジンギスカンは格別の味である。昔なら一人で1㎏ぐらいはぺロリと食べられたのだが・・・。二人で500gで丁度良いのだから胃袋が小さくなっているのだろうか。
食べていたら、頭上をカラスが回っている。どうやら肉を焼く臭いに釣られてきたようである。
食べ終わって後片付けをし終わって家の中に入ったら、そのカラスが降りて来て焼台が置いてあった辺りを歩き回っている。お肉の残りにでもありつこうとしていたのかもしれない。
家の中から見ているとカラスもなかなかカワイイ鳥である。お肉は全部食べてしまったから、しけってしまって食べられなくなったおせんべいを割ってその辺りに置いておいたら、また舞い降りてきてキレイに全部食べていった。
カラスは頭が良い鳥だからまた来るかもしれないなぁ〜。
妻が両親のところに行っている間の2時間ほど、またソファで昼寝してしまった。
戻って来た妻が呆れて「よく寝るね〜、だから太るんだよ、ゴルフの打ちっ放しにでも行って来たら?」と言うが・・・。本番は好きだが練習は嫌いである。結局そのまま夕食までゴロゴロしていたのであった。
■2014-05-26-Monday 青天の霹靂
映画「青天の霹靂」を観て来た。
例によって妻と2人で「夫婦50歳割引制度」を活用してである。
18:25からの上映回に行ったのだが観客は10名足らずであった。封切直後なのに・・・。
私は「マジック」関係の書籍や映画などは一応全部目を通すように心掛けている。
この「青天の霹靂」も小説が発売されてすぐの2010年8月に購入し読んでいる。
映画館の予告編で、この「青天の霹靂」が原作者の劇団ひとりが監督をして映画化されることを知った。
最近の邦画はテレビ局とタイアップして製作されることが多いから、いわゆる「番宣(ばんせん)番組の宣伝の略」と称して封切間近になると、やたらとテレビの番組に主演俳優が出演して宣伝する。
この映画も主演が北海道出身の大泉洋と原作者で監督も務める劇団ひとりであるが、この2人がここ最近はテレビに出ずっぱりという感じであった。
原作では主人公の晴夫は35歳で17年間マジックを修行したマジシャンという設定であったが、原作から4年経っての公開であるから、その分だけ主人公も年齢を進ませたのだろう。映画では39歳で20年間マジックをやっていたという設定になっていたのはご愛敬である。
大泉洋はかなりマジックの練習を重ねた形跡が見られたが・・・。
この辺がマジックを趣味にしている私と、マジックの素人である妻との見解が大きく乖離している箇所である。
妻に言わせれば「練習した甲斐を見せたかったんでしょ。結構上手かったじゃない」となるが、しかし私に言わせれば、いくら練習したと言ってもせいぜいが半年程度の練習では、しょせんは付け焼刃という感じが否めないのである。
やはり20年間もマジックを修行したという設定ならば、カードさばきはもっと熟練していなければ、マジシャンという設定自体がウソ臭くなってしまうと思うのである。
昔のアメリカ映画に「スティング」という詐欺師の映画があった。主演のポール・ニューマンが汽車の中でのポーカーに向かう前の場面で華麗なカードさばきを手をアップにして映すのだが、この場面は有名なマジシャンのフランク・ガルシアが手だけの出演をしている。
そこで映される華麗なカードさばきがあるから、その後の展開に説得力が出てくると思うのである。
その点、妻の言う通り、せっかくの練習の成果を披露したかったのだろうが、マジシャンとしては失格な、美しくないカードさばきでしかなかったのが残念である。
映画はそこそこホロリとさせる場面もあるが、私にとっては最初にマジック場面でのウソ臭さがあったので少々興醒めしてしまったのであった。しかし、後ろの席で一人で観に来ていた中年男性客が嗚咽を漏らしながら観ていたのには驚いた。きっと主人公の人生と自身の人生に共感するものがあったのかもしれない。
まぁ、劇団ひとりの原作、監督、出演というマルチな才能には驚かせられた作品であった。
■2014-05-27-Tuesday 嬉しいなぁ〜
今日会社に
男性から「テレビ東京の開運!何でも鑑定団のスタッフの者ですが・・・」と云う電話が入った。
私のブログを見て、私のマジック本のコレクションのことが気に掛かったらしい。詳しいことをお聞きしたいというのでしばらく電話で話したのであった。
この「開運!何でも鑑定団」と云う番組はとても大好きな番組で、帯広に「テレビ東京」系列のTVHがまだ放映されていない時から、この番組見たさにOCTVのケーブルを引いてTVHを見られるようにしたくらいなのである。
6〜7年ほど前に、一度「江戸時代の奇術本」で女性スタッフの人から出演の打診があったのだが、その時は見るのは大好きであるが、出演して「ニセモノです」とか「無価値です」なんて言われるのも嫌だなぁ〜なんて考えていたし、島田しんすけにイジラレルのはもっと嫌だなぁ〜と思っていたから出演の打診すら断ったのであるが・・・。
人気番組なだけに、全国各地の面白いエピソードを持った人や収集家を探しているのだろう。そのアンテナに引っかかったのは嬉しいことである。
今度の出演打診は前回の女性スタッフとは異なる人であるが、やはり私の「マジック本のコレクション」が対象であった。
マジック本のコレクションは数は1万五千冊ほどもあるから量としてはかなりのものであろうと思うが希少性では江戸期の本のコレクションは少ないから、これでテレビに出るのは恥ずかしい。
この男性スタッフとの話しの中で、去年の暮れにヤフーオークションで入手した明治のスーパーマジシャン、日本近代奇術の父といわれる「松旭斎天一」の書と掛け軸の2点のことを言ってみたのだが・・・。
これが意外と反応が悪いのである。どうも松旭斎天一のことを知らないのであろう。
私にとっては金額は大したことない価格でも、希少性ではバツグンのお宝なのであるが・・・。
すぐに、入手のエピソードやらお宝などの写真を送れとのメールが入った。31日の土曜日に編成会議があるので、それに間に合わせたいとのことである。
しかしである。松旭斎天一の書の真贋なんて一体誰に調べさせるというのであろうか? 一般にも骨董店にも天一の書なんてめったに出てこないから分かる研究者なんているのかしらん。
むしろ、自分で調査した私の方が詳しかったりして・・・。
調べる人が居ないから不採用ですな〜んてことも考えられるなぁ〜。
果たして採用になるのであろうか?
楽しみである。
■2014-05-28-Wednesday 火事
今日の午後
私が評議員を務める組織の会議が、市内の北海道ホテルであったので出席してきた。15:30に終了し自家用車で会社に戻ろうと、西五条を北に走り、9丁目線で右折して東に向かったら、私の会社の付近に消防車が数台停まっているのが見えた。何があったのか不安になって西2条南9丁目の交差点を通って我が社の駐車場に入ろうとしたら・・・。
交差点で警官が道路を封鎖していて直進できないから我が社の駐車場に行けないのである。車を停めて窓を開けて警官に「直進出来ないの?」と尋ねたら「出来ないから左折して下さい」と言う。この交差点は右折禁止の交差点でしょっちゅう警官が違反者を捕まえている交差点でもある。しかし左折するとかなりグルグルと遠回りしなければならないので「そこの坂本ビルの駐車場に車を入れたいんだけど、緊急避難的に右折しても良いだろうか?」と警官に尋ねたら、暫時考えていたが「ダメです。左折して下さい」と言う。融通の利かない警官である。
何があったのかすぐに見に行きたいので車を夷石パーキングに入れて歩いて現場に向かった。
五番舘ビルの前に消防車やパトカー数台が停まっている。もう落ち着いた様子であるから、だいぶ時間が経っているのだろう。近くの商店主らも出て来ているので顔見知りの人に「何かあったのですか?」と尋ねたら「5階の店Jから出火した。漏電らしい」とのことである。
近くに寄ってみるとビルから水がしたたり落ちているから放水したのであろう。大事には至らなかったようである。
飲食店ビルの怖さはこう云うところにある。隣の店が火災を出せば水が掛かってしまったり、煙で壁が汚れたり、臭いが取れなくなってしまうことも多いからだ。
意外と飲食店主は火災保険に無頓着な人が多い。中には火災を出した店の保険で自分の店の損害も全部直せると思っている人が多いのである。
しかし、火災保険は他人の被害まではみてくれないのが通常の対応である。せいぜいがお見舞い金が出る程度なのである。
例え他人が出した火災であっても、被害を受けたら自分の加入している火災保険で対応しなければならないのだ。それが火災保険の常識なのだが知らない人が多いから困りものだ。
自分で火災を起こさない自信があっても、モライ火ということもありえるのだから、しっかりと火災保険に入っておく必要があるのだが、飲食店主の中には火災保険は無駄な経費だと考えて加入していない人が居るのである。
私の店舗兼自宅もかつて火災で失っているから火事には注意しているが、酔っ払いの中には平気でタバコを火の付いたまま投げ捨てるバカな奴が居る。火災がどんなに恐ろしいことか経験をしていないから鈍感なのであろう。
火災は起こしてはいけないし、起こすような事には、些細な事にでも神経質過ぎるくらいの注意をしていなければいけない。
■2014-05-29-Thursday 健康診断
年に一度受診している
健康診断を今日受けて来た。
これまでは6年くらい連続で同じ病院で受けていたが、たまに別の病院で受けてみようと思い立って替えてみたのである。
今回受診した病院は帯広では一番大きな病院であるが、いつも混んでいるから敬遠していたのである。
しかし、今回、身内が入退院する事態を見てから、やはり一番医療体制が充実している大きな病院にカルテを残して置いた方が良いのではないかと考えて妻と2人で受診する病院を替えたのだ。
この健康診断は半日掛かりである。朝7時から受付開始であるから、7時15分に自宅を出て25分頃には病院に到着したのだが私の順番は35番目であった。
私の前の番号の人たちの会話をそれとなく聞き耳を立てて聞いてみたら、時間前に来て並んで待っていたというではないか。そこまでやるか!
前日に本屋で文庫本を1冊買っておいたが・・・。
まぁ私が読むスピードが速いということもあるがすぐに読み終わってしまったのであった。
何人かの看護師さんが、私の名前と顔を見て「坂本さんですね。新聞などでよく拝見してます・・・」と言われてしまった。こう云う場所で素性を知られているというのも何だか恥ずかしいものである。
オプションで腹部エコーもやってもらって10:40分に一応全部を終了した。看護師との面談を終えると食事が出るのである。
私はご飯を食べる前に水分をガブガブと飲んで、さっさとバリウムを早く体外に出してしまいたいのだが・・・。
せっかく昼食が付いているのだから食べないのはもったいない。
この後、検査結果が出たら14時から医者の診断になる。それまでは外出もOKだと云うので一旦自宅に戻ってトイレに駆け込んでバリウムを出すことをした。
まだ液体状のバリウムがかなり出たので、これなら後が楽だろうと思ったのだが・・・。
14時病院に戻り医者の診断を受けたら、新たに肝臓の検査の為に、午前中とは別の血液検査をすると云う。
朝は左腕で採血したので、今度は右腕を出したのだが、担当してくれた看護師さんがなかなか上手く採血出来ないのだ。
新たに2本取るのだが、最初は右腕で採血したが途中で血が出なくなってしまった。採血量が少ないと正しいデータが取れない可能性があるのでもう1回採血させて欲しいと言う。今度はまた左腕でやったが、また血が出ない。血管に上手く刺さらない様である。一旦針を抜いて「すいません。誰かに代わってもらいます」と言って引っ込んでしまった。
今度はベテランの看護師が出て来て左腕から採血したが、計4カ所も刺されて腕は紫色に腫れてしまった。まるで麻薬中毒患者の腕みたいで銭湯に行きづらいではないか。
この血液検査の結果は2週間後くらいに郵送で送るという。我が家の男性は皆肝臓が悪いから何だか心配だなぁ〜。
酒を止めろとは昔から言われてはいるのだが・・・。
■2014-05-30-Friday 葬儀
母の留萌高女時代の
同級生の葬儀が清水町であった。
留萌から十勝に嫁いで来た同級生はたった2人だけだし、共に夫に先立たれたということもあって、以前から頻繁に行き来していた仲であったが、今年になって脳梗塞を2回患い寝付いていたが28日に亡くなったのでその葬儀に出席したいという。
前日の通夜は私に所用があったため妻に運転してもらって行ってきたのであった。今日の告別式は私が運転して連れていくことになった。
清水町の寺までは自動車で1時間ほどの距離がある。カーナビの案内を頼りにようやく辿り着いたのであった。
同じ十勝であっても町によって葬儀の形態が異なるのを知った。焼香で親類などの次に葬儀委員長の名前を読んで焼香するから、あれっ私たちには焼香させてもらえないのかな?と思ったら、その後で「名前を呼ばれなかった方々はご焼香下さい」とのアナウンスである。
帯広の葬式では、一番最後に葬儀委員長の焼香で終わるのに・・・。
弔辞もなかったので比較的短い時間で終了したのであった。
母も昨晩の通夜と今日の告別式で疲れたのか、繰り上げ法要には出席しないで自宅に戻ると言う。
丁度お昼の時間だったので、清水町の有名な蕎麦屋Mに行って蕎麦を食べることにした。
以前は確か街中にあったはずだが、現在は町役場近くに新しい店舗を建てたようである。
冷たいお蕎麦が店のお勧めだというので私はとろろセイロを注文したが、母は温かい蕎麦が良いとのことでカシワ蕎麦を注文した。
麵はすごく細く切ってある。私には少し細過ぎるようにも感じた。確かに冷たい蕎麦なら細いから冷水で締めた直後は良いのだが、もう少し太い方が喉越しも良くなるように感じた。母が食べきれないから食べて欲しいと私にカシワ蕎麦を寄こしたが、温かい蕎麦はすぐに伸びてしまうようで、この細さが仇になっている。温冷どちらの蕎麦も、もう少し太めに切った方が良い。
母を自宅に降ろした後、月末なのですぐに着替えて会社に行く。忙しい日である。
■2014-05-31-Saturday コカコーラカップ
ゴルフのオープンコンペの
コカコーラカップが幕別町の国際カントリーで開催され友人3人と一緒に参加してきた。
この大会は参加料が無料であるから、賞に入ればコカコーラ製品がもらえるのでお得なコンペである。
61人が参加したコンペで、我々は西コースから東コースという組である。
この日の前半は私のショットは完璧であった。ドライバーはまっすぐ距離も出て飛んだし、アイアンもキレまくってビタビタとピンに絡む。ところが得意の筈のパットがまるで入らないのだ。4回連続でバーディーパットを外したらイライラして来た。グリーンが遅過ぎてパットのタッチがまるで合わないのである。ついに7番でティショットをOBにしてしまいトリプルを叩いてしまった。そこからはまるでガタガタと崖を落ちるようにダメになっていく。我ながら実に情けない。
ダブルぺリア方式なのが唯一の救いであるが、隠しホールもまるで合致しなくて結局25位であった。
それでも飛び賞であったからアクエリアスの1.25リットルボトル半ダースが当たったのでまぁ良しとしよう。
久し振りのゴルフだったし気温が急にあつくなったので身体の具合も何だかヨロシクナイ。
温泉にタップリ浸かって早く寝ることにしよう。