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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2019-02-02-Saturday 健康器具

冷蔵庫の冷凍庫部分が壊れたので電器屋で

新しい冷蔵庫を購入したのだが、その際に電器屋から浄水器も勧められた。

私は一昨年の入院以来、医者からは毎日1リットル以上の水を飲むように言われていたので、最初は水道水を飲んでいたのだが・・・。

妻は「水道水には塩素が入っているから身体に悪い」と、スーパーマーケットから、ペットボトルに入ったミネラルウォーターを買って来て飲んでいた。

私も東京に出張した際には、東京の水道水は飲みたくないので、コンビニでペットボトルを買って飲んでいたのである。

帯広でもここ最近は妻が買って来たペットボトルの水を飲むようになったのであったが・・・。

2人してペットボトルの水を飲むのならば、重たい思いをして2リットルのボトルを買って来るよりも、毎日のことだから浄水器があった方が楽で良いと云うことになったのだが・・・。

電器屋で勧められた浄水器は、何と冷蔵庫よりも高額なのであった。

女性の派遣社員がデモンストレーションで、いろいろな事をやってみせてくれる。飲んでみたら何だかまろやかな感じがする。

いかんいかん、これはマジックの手法だ。

マジシャンがマジックの手法に感心していては・・・。

買いに来たのは冷蔵庫なのである。

人間にとって水は必要不可欠なものだ。毎日1リットル以上も飲まなければならないのだから、美味しくて、健康に良さそうな方が良いに決まっているのだが、問題はコストパフォーマンスなのである。

でも結局、買うことになってしまったのであった。

今日、冷蔵庫と浄水器を取り付けに来た。

これで、風呂上りにアイスクリームを食べる事が出来るし、美味しくて身体に良さそうな水も飲めるようになった。健康になれるかな?


■2019-02-03-Sunday 東京

3日に上京した。

本来の仕事は明日4日(月)に「公益社団法人 日本奇術協会」の新年会で特別セミナーの講師として90分間の講演をする為である。

長期の天気予報では4日の北海道は荒模様のようである。この時期の北海道からの移動には天候のリスクが付き物で、飛行機や列車が遅れることはしょっちゅうであるし、遅れるだけならまだしも、運行停止という事態もかなり起こる。

私が、現地に行かなくても大丈夫な行事ならば、行けなくなったことを諦めれば良いだけのことであるが、私が居なければ始まらない今回の様な行事であれば、到着出来ないことは主催者側にも迷惑が掛かるし、私も時計を見ながら慌てることになる。

この経験則は「北の屋台」で全国各地を講演して歩いていた時からずっと付いてまわってきていたのである。

万が一、天候が理由で、行けなくなったのであれば、一応、言い訳は立つのであるが、私の講演を聴くために集まってくれた聴衆をガッカリさせるわけにはいかない。

私が一日早く行っていれば良いことなのである。

幸いにもスケジュールが混んでいる訳ではない暇人であるから・・・。

この機会に、東京に居る高校の同級生らに声を掛けてもらい、ミニ同窓会を開いてもらったのである。

会場は新宿の居酒屋で集合時間は17:30ということである。

この日(3日)は16:05〜17:20まで、私が出演するテレビ番組「コツコツ人生館」の放送日である。携帯電話のワンセグで見れるからと思って会場に向かったのだが・・・。

ちょうど、私が出演していた時間帯に地下鉄に乗っていたので、電波が悪くて視聴不能であった。

残念ながらリアルタイムでは視聴できなかったのである。それでも自宅で録画してあるから帰宅してから見ることにしたのだったが・・・。

見た人たちから、私の携帯にドンドンとメールが入ってくる。

全国放送の番組であったので、全国各地の知人らに「テレビに出演するから見てね!」と知らせておいたのである。

これが裏目に出てしまった様だ。

「笑っちゃうほど短時間の出演だったね!」とか「何これ!他の人に比べてあまりにも短い時間だったね!」とかのメールなのである。

私は見ていないから、「何分間くらいの放映時間だった?」と尋ねたら、「2分程度だったよ」と言う。90分番組で5名のコツコツさんの紹介で私がたったの2分?!

まぁ、以前のこのブログにも書いたけど、収録時から、私と他の4人のコツコツさんとの違和感はあったのだけどね。予想した通り収録の時間調整用の要員だったのであろうなぁ〜。

テレビって怖いもんであるなぁ〜。このわずか2分間の為に、帯広での2日間の撮影と、私が東京に出向いての撮影に3日間も要したのに・・・。

まだ、このブログを書いている時点で見ていないけど、今後は、ちゃんと枠(放送時間)を確保してくれる番組のオファーしか受けないようにしようっと!

高校の同級生らとは、健康の話、定年の話、など等、還暦過ぎの親父の愚痴でおおいに盛り上がったのであった。

同じ時代を同じ高校で過ごした仲間は永遠である。楽しいひと時であった。


■2019-02-04-Monday 奇術協会での講演

今日4日(月)は本来の上京目的である

「公益社団法人 日本奇術協会」の新年会の特別セミナーの講師として90分間の講演を行うことになっている。

会場は「東京會舘」アーバンネット大手町ビル21Fで、会場入りの時間は14:30である。

午前中は暇なので、フッと大学生時代によく歩いた道を歩こうと考えた。この日の講演でも話すことになる「神田神保町」の古本屋街を歩きたくなったのだ。当時、神保町にあったトリックスと云うマジックショップにいた布目貫一さんと云う方を訪ねてはマジック道具を買い、その後で古本屋を覗いて帰るということを毎週の様にやっていたのである。

当時は、JRの水道橋駅で降りて、トリックスに行ってから古本屋巡り、帰りはJRお茶ノ水駅から帰っていたのである。

今回は、トリックスはもう無いし、古本屋を覗こうにも朝早くて開店前であろうから、「神田明神」をお参りしようと思い立ったのである。

神田明神は50年前に私が10歳の時に父に連れられて東京に来た際に参拝しただけであったから半世紀振りの参拝である。当時の父の定宿が神田明神の傍にあった「神田明神館」と云う旅館だったのである。

この年齢になると、昔訪ねた場所を再訪したくなるものらしい。

今回は築地のホテルに泊まっていたのだが、フロントで神田明神に行くにはどう行ったら良いかを尋ねたところ、いろいろなルートを教えてくれたのだが「地下鉄の乗り継ぎ無しなら、日比谷線で築地から秋葉原に行くと乗り換え無しですよ。秋葉原から徒歩7分です。」と教えられたのであった。

その通り行ったのだが・・・。

地下鉄から地上に出たが、神田明神方面の地図の掲示板が無い。近くの薬屋に入ってドリンク剤を買って道を尋ねたら、徒歩なら30分は掛かりますからタクシーの方が良いと言うので、その言に従ってタクシーに乗った。タクシーならわずか3分ほどで着いたが、確かに歩いたら30分は掛かったかも・・・。とても7分では到着出来ない距離であった。

お参りし、お札を買って、おみくじを引く。甘酒が有名だが、神社の中の店は、まだ時間が早過ぎて甘酒が温まっていないとのこと。鳥居のすぐ横の「天野屋」と云う店に入って甘酒を飲んで時間をつぶす。

湯島聖堂を見てから、神保町の古本屋街に行くが、ずいぶんと店が減っている。

この日の東京の気温は19.4℃、暦では立春であるがびっくりする暖かさである。歩いていたら汗が吹き出て来るし、昔の面影が薄れているので、東京駅に向かう。大丸で時間を潰してから会場に。このアーバンネット大手町ビルは入場に際して、ゲートを潜るのにカードが必要なのである。セキュリティがしっかりしていると言えば良いのだろうが、これがかなり面倒臭いのである。カードは1回切りしか使用できないから、間違って機械にカードを当てて、通過するのを止めたら、もうそのカードでは入場出来ないのである。警備員の数を減らす目的があるのだろうが・・・。

21階の会場に入って、PCのパワーポイントなどのセットをする。事前に送っておいた配布資料を並べるが、50名の定員が満席だと言う。

私の話を聞きに、マジック関係者が50名も集まってくれるなんて大感激である。しかも講師料までいただけるというのだから・・・。

15:30から講演を開始し、まずは60分間、私のマジック歴やら、師匠のジミー忍との出会い、遺言からマジック・ミュージアム設立へのいきさつ、去年10月29日の島田晴夫師の訪問、寄贈の件などを話し、その後で、花島皆子会長との対談、そして質疑応答と、あっと言う間に時間が過ぎたのであった。

講演後には聴衆の方々から絶賛され、面映いが嬉しい気分であった。

18:00からは表彰式や懇親パーティである。講師として良い席に案内されたのであった。これまで、手紙やメールだけのやりとりで実際に会ったことのなかった方々とも顔合わせも出来たし、大勢のプロマジシャンの方々との話も出来たし、アマチュアの方々からも、マジック・ミュージアムを訪問したいとも言われたので、ミュージアムの良い宣伝にもなったと思う。

表彰者やゲストのマジックショーも堪能し、ビンゴゲームでは一番最初にビンゴになってスゴイ景品ももらったし、とっても気分の良い一日であった。

妻に報告の電話をしたら、この日の帯広は大雪で、除雪が大変だったとのこと。帰ったら雪かきが待っている。

                                                                       


■2019-02-05-Tuesday 帰郷

帯広に帰る為に羽田空港に向かう。

空港に着くと、帯広便の搭乗口に、背が高くてスタイル抜群で、人目を惹く容姿の外人美女が20名ほど待っているではないか。

どうやら、ミスインターナショナルの様な、ミスコンテストに参加する女性たちであるらしい。

でも、どうして帯広なんだろう?

飛行機の中では、集団で固まって座る訳ではなく、皆がバラバラに座っている。最近はチケット購入時に座席の指定をするから、きっとチケット購入が遅かったのであろうなぁ〜。私の横も空いていたから、隣に座らないかなぁ〜と待っていたのに・・・。

私の横には座らなかったのであった、残念!

帯広空港の駐車場に置いてあった車が、3日に降った雪に埋まっていた。4日には少し気温が高かったのであろう。ザラメ状に雪が凍っている。東京には手袋を持っていかなかったので、素手でドアの氷をどけてエンジンを掛けてから、トランクに積んである小さなスコップを取り出して車の屋根の雪を降ろして会社に向かった。

会社で仕事を済ませてから、帰宅し、すぐに録画しておいた3日放送の「コツコツ人生館」を見てみる。

見て、エッと絶句し唖然とした。私の部分の放送時間は2分にも満たないではないか。

こんな申し訳程度に映すくらいだったら、最初から私にオファーなんぞしければ良かったのに・・・。

結構忙しかった年末、年始に撮影に関わり、東京での撮影の前日まで実演のマジックの演目が決まらずにヤキモキさせられたのに・・・。

テレビに出演するからと、多くの知人に宣伝もしたのに・・・。

これでは、いい赤っ恥である。

テレビを見た知人からは「何か事故でもありましたか?心配です」なんてメールまで入った。

これは放送事故みたいなもんだろう。

もう笑っちゃうしかないよね。

他の4人のコツコツさんと私とでは、私一人だけ異質な存在であったことは確かであったが・・・。私だけ番組の趣旨(奇人変人)には合わなかったのであろうなぁ〜。

放送をリアルタイムで見ないで良かった。もしも、これを3日に見ていたら気分を害してせっかくの同窓会も奇術協会での講演も、苦虫を噛み潰した様な顔でやっていたかもしれないなぁ。

最近のバラエティ番組は、素人の出演者よりもタレントのアドリブの悪ふざけの方を優先する演出なんだなぁ〜。その方がテレビ的には面白いのかもしれないけれども、出演依頼した素人にはヒドイ背信行為である。もう二度とバラエティ番組には出ないぞ!


■2019-02-06-Wednesday 健康寝具

出張から戻ると足腰が痛い。

普段、帯広では長距離の徒歩はしないで、自動車に乗っての移動ばかりであるが、東京では電車や地下鉄の乗り継ぎだけでも、結構な距離と階段の昇り降りがある。

今回は、久し振りに神田神保町の古本屋街などを歩いたりしたものだから、両足の脛の筋肉が攣りそうになったのであった。荷物を持ちながらの移動であるから、腰にも負担が掛かったのであろう。

ホテルの慣れないベッドマットと枕で、身体が休まらなかったのかもしれない。

帯広に戻って整体に行って出張の話をしたら「坂本さん、自宅でどんなベッドに寝ていますか?」と聞く。25年程前に、腰痛に良いと思って、高額なウォーターベッドを購入し、それに寝ていると言ったら・・・。

「坂本さん!ウォーターベッドは腰に一番良くないんですよ!最近は堅めのマットが主流なんですよ!」と云うのである。

「腰が沈むから、坂本さんのそのポッコリと出たお腹はウォーターベッドのせいかもしれませんよ!」と云う。指摘されると、確かに思い当たる節がある。

どんなベッドマットが良いのか?と尋ねたら・・・「家に良いマットと枕があるんですよ〜!」と云う。

「1ヶ月間無料でレンタルしますから使ってみて下さい。最初は固めだから慣れないと寝苦しいかもしれませんけど・・・」と云うので借りて来て、試しに寝てみたのである。

確かに、これまでのウォーターベッドとは段違いの固さである。ウォーターベッドに比べたら板の様で、まるで身体が沈み込まないのである。寝ると背中が痛くなる。枕も固くて、頭よりも首を枕に乗せて寝るのだと云う。

整体の理論上は寝ている間に、背骨を伸ばすんだそうである。首もアーチを保たないとストレートネックだと負担が掛かって肩こりの原因になるのだそう。頭を乗せる枕は肩こりの原因になるんだとか・・・

とりあえず一日だけでは判断が出来ないから、1ヶ月間使ってみることにしようと思う。

何だか最近、水とか寝具とかで健康に気を遣っているなぁ〜。

でも、水も睡眠も毎日のことだから、理論的に納得できる方法をやってみようと思っている。1ヶ月後がお楽しみ。


■2019-02-07-Thursday 島田晴夫師

今朝、ロサンゼルスの島田晴夫さんから

私の携帯にお電話があった。

もうすぐに迫ったが、ロサンゼルスの島田晴夫邸に、私とNHKのFアナウンサーの2人でお邪魔することになっているのだ。

「ロサンゼルスに来られたら、是非、マジック・キャッスルにお連れしたい。キャッスルはドレスコードがあって、男性はジャケット着用ですから必ずジャケットをお持ち下さい。こちらは昨日、珍しく雨が降りましたが、気温は20℃以上になりますから、寒い北海道から来られるのは服装も大変ですね・・・」とお気遣い下さったのである。もう感激!である。

4日(月)に東京の東京會舘でプロマジシャンの組織である「公益社団法人 日本奇術協会」の新年会の特別セミナーで、私が90分間の講演を行ったのであるが、この講演の、そもそものキッカケは、去年10月29日に、島田師がロサンゼルスから成田空港に来日したその足で、札幌、そして帯広のマジック・ミュージアムをご訪問下さったことにあるのだ。

マジック・ミュージアムを見た島田晴夫師が「このマジック・ミュージアムに縁を感じた。引退後に私の道具類を寄贈するので島田晴夫コーナーを作って欲しい・・・」とのビックリ発言を複数の新聞社の記者の前で公言されたことにある。これはすぐに新聞記事になり、この大ニュースは日本中のマジック愛好家を駆け巡ったのである。

マジック関係者なら尊敬して止まない世界一のマジシャンである島田晴夫師の道具類が、北海道の片田舎の帯広のマジック・ミュージアムに寄贈される?! 

坂本ってどんな奴なんだ! 顔が見てみたい! 事の経緯を聞いてみたい! と云うことになって、私がマジック関係者らを前に講演をすることになったのである。

まずは、私が渡米してロサンゼルスの島田晴夫邸を拝見することになっているのだが、その日が近づいて来たのである。

このところ、私の周辺はマジック関連で動いているかのようで、毎日がワクワク、ドキドキの連続である。

50年間のマジック人生で一番ワクワクしている。

妻は「楽しそうね〜」と冷ややかに云うが、こんなに楽しいのは人生初かもしれないなぁ〜。


■2019-02-08-Friday 最強寒波

天気予報で明日の朝は最強寒波が

北海道を覆うから、気温が−30℃以下になる所が出てくると云う。

帯広の予想は−24℃である。

私が小学生の時には−33℃というのを経験している。当時は寒くても休校になることはなかった。−20℃以下になると息も凍るし、涙も凍るから目を開けていられない。自分の吐く息が凍り前髪が白くなる。寒いと云うよりも痛いのである。空気が肌に突き刺さる感覚である。

私が通っていた帯広小学校はとても古い校舎で、掃除の時の床の雑巾掛けの際には、ササクレだった床材が爪の間に刺さるほどのボロい校舎である。窓枠の木枠からは隙間風がピューピューと吹き込んで来るし、暖房は教室にルンペンストーブが1個あるだけである。

ストーブの前の席は熱くて汗をかくが、ストーブから遠い席は、アノラック(当時の生徒は皆が着ていた)を着ていないと寒くて仕方がなかった。

日直は朝早くに登校して、石炭置き場にバケツを持って行って石炭を入れて教室まで運ばなければならない。

トイレの便器は、小便が凍って黄色い氷柱になっている。大便も便器の口までウ○コが凍って盛り上がっているから学校での大便なんてしたことがない。そんな小学校であった。

体育は校庭に積もった雪を踏み固めて水を撒いて凍らせて造った陸(おか)リンクでスピードスケート。気温が−20℃以下だと足先が痛くて、冬の体育は嫌いであった。

自宅も古かったし、現代の様な北海道仕様の家ではなく、内地(本州のことを北海道では内地と云う)仕様であるから、畳の隙間から冷気が伝わり敷き布団が冷たい、当然背中も冷たいから、湯たんぽを抱いて寝るのだが、朝になったら掛けフトンの襟足が白く凍っていた。

そんな経験をしているが、−24℃となると水道管の破裂が心配であるから、水道管の水落としをした。

1ヶ所だけベランダの水道管だけは、台所の下にある「室(むろ)(昔は芋などの野菜を保存するのに使う地下室)」にある水道管で水落としをしなければならない。面倒だが仕方がない。久し振りに室の中に入って水落としをしたのであった。

果たして明日の朝は何度になるのであろうか?


■2019-02-09-Saturday 最強寒波2

今朝の帯広の気温は−24.5℃!

十勝の北東に位置する日本一寒い町と自称する陸別町は−31.8℃であった。

−18℃以下になると、空気中の水分が凍るダイヤモンドダスト現象が起こる分岐点がこの気温なのである。

今日の帯広は風も弱くて快晴であったから、昼間の最高気温は−7.2℃であったのだが、肌感覚は相対的なものなので、太陽が当たると、とても温かく感じたのであった。

こんな寒い日に思うことは、昨年9月6日のブラックアウトの事である。

この時期の北海道で、もしも停電になどになったら、凍死する人間が大勢出るのであろうなぁ。

去年のブラックアウトはまだ温かい9月初旬であったから、ストーブのことはあまり真剣には考えなかったのだが・・・。

現代の北海道では、昔みたいに石炭や薪をくべるストーブのある家は少ない。ほとんどの家が電気で点火するタイプのストーブであり、ボイラーなのである。

去年のブラックアウトの後で、我が家も発電機を購入したのだが、これはあくまでも緊急時のものであって、せいぜいが半日程度しか持たないのである。

冷凍庫の温度が−18℃であるのだから、−30℃以下と云うのがいかに寒いのか!

陸別町からの中継をどこのテレビ局のニュースも流していたが・・・。

−30℃の寒さを一日だけのイベントとして遊ぶのは、ここに暮らしていない旅人の遊びとしては面白い体験なのであろうが、そこに暮らさなければならない住人にとっては命懸けの恐怖なのである。

いざと云う時の為に、原始的な薪ストーブを用意しておく必要があるかもしれないなぁ〜。でも、今年はもう対応が難しいから、今年の温かい季節の内に準備することにしよう。でも、こう云うのって、暖かくなるとコロッと忘れてしまうもんなんだよなぁ〜。


■2019-02-10-Sunday メリー・ポピンズ

映画「メリー・ポピンズ リターンズ」を観て来た。

例によって夫婦50歳割引き制度で夫婦で2200円である。何度も書くが、こんなに安くて2時間も楽しめる娯楽は少ない。

メリー・ポピンズは、妻と小学生の時に一緒に観に行った。

と言ってもデートではない。妻とは同級生であったが、帯広小学校の課外授業で学校全体で映画鑑賞に行っただけのことである。

主演はジュリー・アンドリュースとディック・バンダイク。アニメーションと実写が融合した映画は当時画期的なものであった。

字幕だけであったから、字幕を読むのが小学生では大変であったが、チムチムチェリーやスーパーカリフラディックエクスピアリドーシャスだとか2ペンスとかスプーンプルオブシュガ—(お砂糖一さじ)の歌などが耳に残ったものであった。

結婚して子どもが生れてからは、レーザーディスクを買って来ては何度も見せたので、すっかりストーリーも歌も覚えている。

去年の4月には、東京でミュージカル版のメリー・ポピンズも観ているほど好きな映画なのである。

この続編であるし、魔法使いの物語であるから、とにかく観ておかなくては・・・。

観客は大人が多かった。皆、私たち夫婦と同じ様に、昔の映画を観た人達なのであろうなぁ〜。

例によって、ストーリーなどはマジックのタネ明かしと同じことになってしまうから、まだ観ていない人の為にここでは書かないが、大人が観ても楽しいミュージカル映画である。


■2019-02-11-Monday ファースト・マン

3日連休であるが寒波が厳しいから

外で何かをする気にはなれない。かと言って家の中でじっとしているのもつまらないから、昨日に続いて映画を観に行くことにした。

妻はライアン・ゴズリングが映画「君に読む物語」からのファンなのだと云う。私も「ラ・ラ・ランド」を観て良い役者だと感じたし、監督のデイミアン・チャゼル監督は「セッション」からの大好きな監督であるから、私も観たいと思ったのである。

この映画がアポロ11号で人類初の月面着陸をしたニール・アームストロングが主役である。

アポロ11号の月面着陸は1969年であるから昭和44年、ちょうど50年前で、私が小学5年生の時だったが、担任の先生が授業を中止して理科室に我々を連れて行きテレビを見せてくれた。

SF漫画の世界が現実になったので、男子は、皆が興奮していたことを覚えている。

当時の日本はまだ1米ドルが360円の固定相場制の時代である。海外旅行も高根の花であった時代であったが、私が大人になる頃には、きっと月旅行にも行ける様になるんだろうなぁと思っていたのだが・・・。

アポロ計画もその後は尻すぼみになって終わってしまった。スペースシャトル計画が出てきて、再び希望が出てきたが、シャトルは結局、月には行けなかった。

アポロ11号よりも、スペースシャトルの方が、科学、特にコンピュータの進歩は飛躍的なはずなのに・・・。

そう考えると、50年前のこのアポロ11号の月面着陸って無茶苦茶危険なことだったんじゃんじゃないのだろうか?

映画の副題に「人類史上、最も危険なミッション」とあるが、凄いことであったんだなぁ〜。

だから、アポロは実は月には行っていないと云う陰謀論がいまだにあるんだろうなぁ〜。

例によって映画の内容は、マジックのタネ明かしと同じことになるから、ここでは詳しくは書かないが、結構、深い意味を込めた映画であると感じた。


■2019-02-12-Tuesday 連休明け

年齢のせいなのか?

それとも連休が多過ぎるからなのか?

どうも最近、曜日の感覚がオカシイ!

今日は何曜日だっけ?と聞くことが増えたのである。

この連休は、超〜寒かった(まだ寒いけど)から、外で何かをする気力が湧かない。

身体の中からほとばしる様なエネルギーの発散が感じられない。現実に足の指先が冷たいのである。血行が若い頃ほどよろしくないのであろうなぁ〜。若い頃よりも寒さに対して弱くなっているような気がするのである。

急激な温度差によって、脳梗塞などの危険性も増すであろうから、外への出入りは極力避けたいところである。

会社も3日間も休みにすると、室温が低く、寒くなっている。人が居ないと家も会社も温度の管理がイマイチである。

地階に計画中の小劇場であるが、使用してくれそうな各種の団体や個人に平面図を見せたり、現場を見せたりし始めたのだが・・・。

私は、会社の見取り図などの図面を自分でも描くし、空間の把握の感覚は優れていると自負しているから、図面と現場を見たら、おおよその見当がつくのであるが、こう云ったことに慣れていない人にとっては、図面や現場を見ても、イマイチ、ピンとは来ないのであろう。

そこで、文房具屋に行って、3色のスズランテープを購入して来て、現場に張り巡らせて、空間把握が容易に出来るように工夫をしたのである。

こうしておけば、ステージ、客席、ロビーなどの広さが体感し易くなると考えたのだ。

音楽教室の主催者と生徒さんが見学に来たが、とても分かり易かった様で、好評であった。

知人の設計士も見学に来てくれて、協力してくれることになったので、少し前進した。


■2019-02-15-Friday 小劇場

今週は小劇場の件で多忙な毎日であった。

坂本ビルの地階に100名収容規模の階段状客席を有した小劇場を造りたいと計画をしているのだが・・・。

12日には電気屋と設計士が来訪して現場の確認をおこない。13日にはプロマジシャンが来訪し、14日には、メディア関係者、演劇関係者、音楽ではバンド関係者、まちづくり関係者らが来訪してくれた。

いずれも、この様な施設は帯広には無いし、使い勝手も良さそうな小劇場であるから、是非協力したいと申し出てくれた。

今後は、改装に掛かる経費と音響や照明関係の設備などの費用の見積もりをして、検討する段階になっている。

一番の課題は、運営主体である。

小劇場の運営が出来る団体か個人が、居るかどうかなのである。

14日に来てくれた演劇関係者によると、劇場運営の勉強をしたいと云う若いボランティアも居るとのことであるから、そういう人が複数人居てくれたらOKなのであるが・・・。

設備の方は、中古で余っている機材もあるらしいので、それらが使用出来ればかなり安価で入手可能な話であるし、建築も、そういうことが好きな若い人たちが手弁当で参加出来るようにしてはどうかと云う提案ももらった。

なるべく多くの人に関わってもらいたいし、それによって経費が少なくなるなら貸し出す金額も安く出来るから、ウィンウィンの関係になるであろう。

新しいまちづくりのテーマとして取り組んでみたいと思う。


■2019-02-16-Saturday ロサンゼルス1

アメリカ・カリフォルニア・ロサンゼルス

にある、世界一のマジシャン島田晴夫師邸に2月17〜20日までの4日間、NHK札幌放送局の古谷敏郎アナウンサーと共に滞在する予定である。

17日の10:00に新千歳空港発、羽田空港行きの飛行機に乗らねばならないのだが、JRの列車だと、帯広駅発06:45−新千歳空港駅着09:12の始発では超ギリギリである。冬の北海道からの移動は天侯による遅れや運休があるので、5分遅れたらアウト!行けなくなる可能性が高いので前泊する必要があった。

新千歳空港の中にあるホテルに泊まりたかったのであるが、満室でダメ、仕方なく空港から車で15分の距離にある千歳市内のホテルに入ったのである。

千歳市内のホテルの近くには、飲食店の数も少ないので、列車は新千歳空港で降りて、荷物をコインロッカーに預けてから、空港内で夕食を済ませて後に千歳市内のホテルに向かった。

この日は寝るだけなのであるが、憧れのマジシャン島田晴夫師のご自宅に泊まれる事に興奮してなかなか寝付けなかったのであった。


■2019-02-17-Sunday ロサンゼルス2

古谷アナウンサーとの待ち合わせは新千歳空港08:30

2人とも早目に到着した。

新千歳空港発10:00−11:40羽田空港着のJAL便に乗り、成田空港へはリムジンバスで向かう予定なのであるが、機材のトラブルで1時間遅れの出発である。

羽田からのリムジンバスは渋滞に巻き込まれることもなく15時頃には成田空港に到着した。

昔はリムジンバスで行くと、成田空港の手前で一旦バスを停めて、警察官によるパスポートのチェックなどがあったから、そのつもりで用意しておいたのに、そのチェックは無くなっていたのであった。

成田空港のカウンターは空いていた。17:05発の飛行機であるから少し早く着き過ぎたのかもしれない。今回は4泊なので荷物も少ないから2人とも機内持ち込みの荷物だけである。海外の空港は荷物係が荷物を放り投げる乱暴な扱いをするからスーツケースが凸凹になってしまうので、なるべく預けたくないのである。

出国審査も機械にパスポートをかざして、鏡に向かって顔を映すだけでアッと云うまに終了。随分簡素で早くなっていたので驚いた。

免税品等の買い物も無いので、まっすぐサクララウンジに入る。成田のサクララウンジに入るのは初めてであるが、広いし、食べ物も美味しいし、快適である。機内食が苦手なので、ここで腹を満たしておくことにした。

朝の10時にアメリカに到着する飛行機に乗る時にジェットラグ(時差ボケ)にならないようにするには、行く時の飛行機内で、なるべく寝て行くことである。

席は、ビジネスクラスとエコノミークラスの間の新しく出来たプレミアムエコノミークラスである。四角い箱の中に入るビジネスよりも快適な感じがする。

乗ってすぐに腕時計を現地時間に合わせて、まずはビデオを1本観る。

機内食は断り、ワイン2本とアイスクリームだけをもらって、ビデオを観終わったら、睡眠導入剤を飲んで寝る。

途中、飛行機がやたらと揺れて、気持ちが悪くなって目が覚めた。久し振りの乗り物酔いである。

アイマスクを外さずに目をつぶったままなるべく強引に寝るようにした。

到着は予定よりも5分早く現地時間17日の09:55に到着した。一日得した気分であるが帰りは逆に一日損をするから同じことであるが・・・。

ロス空港の入国審査は物凄い人数である。以前よりはかなり簡素化されたがそれでも結構時間が掛る。出るまでに40〜50分位は掛ってしまった。

空港の出口では島田晴夫師が出向かえに来てて下さった。

私にとって神様のようなマジシャン島田晴夫師が空港まで出迎えに来て下さるなんて、それだけで恐縮モノなのである。

去年10月29日に帯広のマジック・ミュージアムをご訪問下さって以来の再会なのであるが、握手とハグで出迎えて下さり嬉しくて舞い上がってしまった。

空港の駐車場で島田師の愛車ジャガーに乗ってご自宅に向かうが、途中でスーパーマーケットに寄って、シャンパンとビールとおつまみを購入してから、ご自宅に入る。

ロサンゼルス空港からは車で10分ほど、高級ヨットハーバーがあるマリナ・デル・レイからも10分程度の閑静な住宅街の高級コンドミニアムがご自宅である。

フェンスで囲われた広い敷地内に3階建てのリゾートホテルみたいなコンドミニアムが十数棟も建ち並んでいる。プール2つにテニスコート、スパ、サウナ、ジム、クラブハウス等があって、駐車場は地下1・2階にある。庭は綺麗に整備され、リスなどが走り回って環境は抜群である。

まずはゲストルームに案内され、荷物を入れてから、再会を祝してリビングでシャンパンで乾杯。島田師は現在はお酒を止めている(昔は浴びる様に飲まれたとのこと)のだが、奥さんのキ—リーさんが不在だったので内緒で・・・。

見つかったらマズイと云うのでキ—リーさんが帰宅する前に、グラスを洗って棚に戻し、瓶は外のごみ箱に捨てに行って証拠隠滅・・・。

リビングには大きな2段の鳩小屋がある。鳩出しのアクトで使用する調教した鳩である。一番古いのは22年も飼っているとのことである。

その後で島田師の資料類と写真アルバムを見ながら説明を受ける。

島田師自身の生い立ちから、マジックにハマったいきさつ、引田天功さんとの出会い、天洋奇術研究所入り、石田天海師との出会いからデビューに8つ玉になったいきさつ、その練習方法(実演付き)、三越劇場でのデビュー、日劇チームとのオーストラリア公演、ディアナさんとの出会い、帰国後の活動、海外行きの決断、ディアナさんとの結婚のいきさつ、メキシコ行きからアメリカ行きまでのいきさつなど等、尽きることのない面白くて興味深い話が、ご本人から、ご自宅で直に写真を見ながらお話が聞けるのである。

島田師も乗って来て、鳩出しの話になった時には、鳩の調教の仕方に話が進んだ。すると実演して見せた方が早いと言って、奥に行って燕尾服を着て来て、ステッキを使ったベアハンド(直出し)の実演を何度も見せて下さったのである。マジシャンにとってこんなに贅沢なことがあっても良いものだろうか!これだけでも来た甲斐があったと云うものである。

島田師の鳩出しの、セットの仕方から、初期の頃から現在までの動きの変遷を何度も実演して見せて下さったのだ。私も大学3年生の時に発表会で鳩出しに挑戦した口であるが・・・。

世界一の鳩出しの演技をこんなに直近で見られて、しかも演技の細かい変遷を実演付きで解説して下さったのである。こんなに凄いことが初日からなのである。明日から一体どんなことになるのだろうか・・・。ワクワクしてしまう。

気が付いたらもう23時になっていた。キ—リー夫人も戻って来たのでお土産を渡してご挨拶。

さすがに我々も眠たくなってきたので、この日はここで終了して寝ることにした。

初日から、内容がものすごく濃い一日であった。


■2019-02-18-Monday ロサンゼルス3

L.Aの島田晴夫師邸滞在2日目(18日)

ゲストルーム前のバスルームを私たち2人専用にしてくださったので気兼ねなくトイレとお風呂を使用できる。トイレはTOTOのウォシュレット付きである。私はウォシュレット無しではトイレが苦手であるから携帯用のモノを持参して来たのだが不要であった。

起床後にシャワーを浴びて目覚めもスッキリ!どうやら時差ボケ対策が上手くいった様である。

午前中は、昨日の話の続きで、オーストラリアからメキシコのサーカス一座との約半年の興行、アメリカに観光ビザでの入国と就労ビザへの変更のドタバタ、グリーンカード取得の際の話など等・・・。写真や資料を見せてもらいながらの詳しい解説を聞かせてもらうが、いずれの事態も、先々でのマジシャンらの友情に支えられて乗り越えるお話に、島田さんの人柄が現れている。

特に面白かったのが、アメリカのグリーンカード取得の際の話、既にアメリカのテレビ番組「トゥナイトショー」の2度目の出演が決まっていたが、それを内緒にしておかないと発行がされなくなるのだと云う。

ヨーロッパからアメリカに戻る際に、税関で鳩を一時預かりにされてしまい、このままでは演技に支障が出る。そこでマジシャンのゴールドフィンガーから鳩を2羽借りて、預けてある調教した鳩とのすり替えを行った話は捧腹絶倒モノであった。まるで映画の1シーンの様である。

お腹が空いてきたので、10時半過ぎに島田さんの運転するジャガーに乗って、マリナ・デル・レイ近くのフレンチレストランにブランチに行きオムレツとクロワッサンを食べる。私はさすがの「晴れ男」。この日は快晴無風の良い天気なので、レストランの外で食事をした。太陽が当たるとと暑いくらいである。

食後に、高級ヨットハーバーのあるマリナ・デル・レイにドライブ。入江を両サイドから見る。停泊してあるヨットの数にも驚いたが、百億円はするであろうと思われる映画007の悪役が乗っていそうなヘリコプターが着陸出来る超豪華な船が停泊していた。個人の所有物であると云う。アメリカの金持ちと云うのは、日本とはまるで較べものにならない桁ハズレな大金持ちである。

この船を対岸に見ながら、島田師が昔よく行っていたというバーに入り、ビールを飲む。ちなみに島田師はここではノンアルコールビール。

自宅に戻り、賞状やトロフィーなどを飾ってある部屋で説明を受けるが、これらのトロフィーや賞状類も全て、マジック・ミュージアムに差し上げますからとおっしゃるので、驚いてしまった。本当に良いのだろうか?責任重大である。

トロフィーを飾ってある棚の隣にドラゴンイリュージョンで使用していた般若のお面なども置いてある。これも出して見せてくれながら「ドラゴンイリュージョンの輸送方法はどうしましょうか?海外公演の際は行きは飛行機便で送り、帰りは船便で送ったこともあったけど・・・、船便は安いけど時間が掛るから・・・、日本の何処の港に着いて・・・、帯広への陸送は・・・、使用する運送会社は日通、クロネコ・・・」と具体的な話が出るので、ますます緊張してしまう。

この棚の中にも写真や資料などが山の様に多数入っている箱があったので、箱を取り出して床の絨毯に座りながら説明を聞く。

15:30に、キ—リー夫人がそろそろ外出しましょうと誘いに来た。サンタモニカの夫人お気に入りのレストランに連れて行って下さると云う。食後はそのままハリウッドの「マジック・キャッスル」に行くので、着替えましょうと云う。キャッスルに入るにはジャケットとネクタイ着用が条件なのである。

サンタモニカはキ—リー夫人の仕事場がある場所なので、ここの地理は夫人の方が詳しいと云うことで夫人がジャガーを運転してサンタモニカのショッピングモールの上にある「チーズケーキファクトリー」と云う最近人気のレストランに入る。

名前の通りデザートが有名なお店なのだそう。混んでいたので10分ほど入口で待ったのだが、その間にウェイトレスが運んでいるモノを見て驚いた!アメリカの食べ物は、どれもやたらとデカイ!

店の名前になっているチーズケーキを食後に食べようと思ったのだが、日本のケーキの3倍は大きいし、ステーキなどもやたらとデカイのだ。メインディッシュを食べてしまったら、ケーキはとても食べられないだろうと思ったので、軽いおつまみ程度のものを頼んだのだが正解であった。

どれも美味しいのだが、日本人には量が多過ぎる。そういえば妻と二人で海外旅行する時にはいつも一人前を2人でシェアして食べていたのであった。

食後にハリウッドのマジック・キャッスルに向かうが、高速はラッシュで少し混んでいた。映画「ラ・ラ・ランド」の冒頭のシーンを思い出す。

マジック・キャッスルでは、島田晴夫師は顔である。スタッフが皆、島田さんに敬意を抱いていて挨拶に来る。

城の中を島田さんが説明してくれながら、普通の客が入れない場所まで案内して下さる。メインの劇場の前を通り抜けて、迷路の様な狭い階段を降りるとミュージアムや図書館があるスペースである。帯広のマジック・ミュージアムに展示してあるマジシャンの胸像と同じものが展示されていたので嬉しくなった。

ここの展示は「道具」よりも「マジシャン」そのものにスポットを当てた展示方法であるから、肖像画や使用した道具が数点がガラスケースに入れられて飾られている。展示品の数では我がミュージアムの方が圧倒的に多いのだが、まるで重厚感が違う。量よりも質だよって感じである。

我が方のはやっぱり質より量って感じでゴチャゴチャ観が拭えないよなぁ〜。でも、島田さんのコーナーを造ったら感じが変わるのであろうなぁ〜。そんなことを夢想しながら見学をした。

この日は、役員会が開催される日であったようで、オーナーのミルト・ラーセン(初代オーナーのビル・ラーセンの弟)、エリカ・ラーセン(ビル・ラーセンの娘)、緒川集人、ジャック・ゴールドフィンガー、マックス・メイビンさんらの役員達が居て、島田さんを見つけると皆が挨拶しに寄って来る。

島田さんは私たちも彼らに紹介してくれて、私のことを「リタイア後に道具類をドネーションするマジック・ミュージアムのオーナー・・・」だと紹介して下さる。帯広から持参したマジック・ミュージアムのパンフレットと名刺を配って握手をさせてもらったのだが、これだけでも凄いことである。おまけにマジック・ミュージアムの宣伝にもなったし・・・。

シュート緒川さんは、昨日、日本から帰国したばかりで、奥さんが日本で出産して父親になったばかりなんですと島田さんに報告する。こんなプライベートな会話が聞けるなんて滅多にないことである。

キャッスルのメイン劇場は、100名も入ったら満席になる小劇場である。かつての駐車場を改築して小劇場に造り変えたと云うので、私が今後造る計画をしている坂本ビル地階の小劇場に、大きさも天井の高さもステージの幅もほぼ一緒なのである。照明や幕などの設置方法はとても参考になった。

この小劇場を見ただけでも、今回の旅の収穫は大きいものがある。

島田さんが、劇場スタッフに私達2人に席を用意してくれないかと依頼してくれたのでとても良い席を確保してくれてショーを見る事が出来た。

この日の出演者はおしゃべりマジックのDavid Kovacが司会を兼ね、マリオネットのThe Huber Marionettes、先の釜山のFISMで活躍したオランダのNiek Takensの3人のショーであるが、このNiekの演技には驚いた。ボールとカードのアクトであるが、たいていのマジックのタネは分かる私が、まったく分からなかったのである。とても不思議で幻想的でオリジナルなマジックで素晴らしかった。この演技が見れただけでも来た甲斐があったと云うものである。

クロースアップ用のミニシアターも見せてもらったが、ここはもっと小さい。天井は私が手を伸ばせば触れるくらいだから2m程度しかないのである。しかし、その方が臨場感と一体感があって雰囲気がとても良い。小さいながらの活用方法が体感できたのであった。

ギフトショップでキャッスルのオリジナルカード(トランプ)を購入して帰路に着くが、途中の車中で便意を催してきた。調子に乗って少しビールを飲み過ぎたようだ。まさか島田さんの愛車の中で漏らすわけにはいかないから、脂汗をかきながら必死で耐えて、何とかかんとか持ち堪えたのであった。アブナイところであった。

こんなことも思い出になる。


■2019-02-19-Tuesday ロサンゼルス4

L.A島田師邸滞在3日目(19日)

午前中は、島田師邸で資料と写真を見ながら説明を聞く。

島田師は現在、日本在住のマジシャンでライターでもあるsteve Marshall氏のインタヴューを受けながら「SHIMADA 侍の精霊」と云う本の出版を準備中である。

写真も豊富に入れたハードカバーの大きい分厚い本になるそうで、自身の生い立ちから現在までの全てを語っているのだと云う。英語で書かれる本で、世界中の英語圏で販売されるという。

その初稿を拝見させてもらったのだが、今回、我々に語ってくれている内容も、その本に添ったものであるという。だが、日本語翻訳版が日本で出版されるのかは未定であると云う。マジック関係書籍を多数出版している東京堂出版社が発刊して欲しいものだなぁ〜。

英語版が出版される一足先に、直接本人から、ロサンゼルスのご自宅で同じ内容のことを聞かせてもらっているのであるから、こんなに贅沢で凄いことはない。嬉しさと感動で一杯である。

島田師の記憶力は凄い!ご本人は「昔のことは良く憶えているけど、最近のことは・・・」と謙遜しておっしゃるが、年代や人名もスラスラと出て来て、話されるエピソードはとても興味深く面白い。映画の題材にもなりそうなほどである。

私も聞いた話で日本語版を書こうかしら・・・。

明日20日の昼発の便で日本に戻るから、今日がL.A滞在の実質的な最終日になる。

今日は、普段の島田夫妻の生活を見せて下さると云う。

まずは、日本の食品を豊富に扱っているスーパーマーケットに買い出しである。キ—リー夫人はベジタリアンで、しかも主に有機野菜を食べていると云う。

スーパーマーケットのショッピングカートを押す島田師、野菜をその籠に入れるキ—リー夫人の姿を写真に撮っても良いでしょうか?と尋ねたら、どうぞと言われたのでカメラで撮影したのだが、こんな写真は貴重であろうなぁ〜。

昼食は、別なショッピングセンターに日本食の、ラーメン、天ぷら、丼物、たこ焼き、寿司などの店が6店ほど入居するフードコートに連れて行ってくださった。そこで北海道のラーメン店「山頭火」のラーメンを食べる。ここの「辛ミソラーメン」が好きで良く食べに来るのだそう。

この2軒だけでは材料が完璧に揃わなかったとのことで、もう1軒大きなオーガニック食品のスーパーマーケットに行く。キ—リー夫人が買い物している間に、コーヒーショップでコーヒーを買って、外のベンチで待っている間に、再度、鳩出しアクトの細部のこだわりや燕尾服を作ったテーラーの話などを聞く。天気は快晴無風で快適。暑いくらいである。

夫人の買い物が終わり自宅に戻る。夫人が料理している間に、また別の資料と写真を拝見しながら話の続きを聞く。夢中になって聞いている内に、夫人がそろそろ食事にしましょうよと云う。時計を見たら20時を過ぎていたのであった。時間がアッと云う間に過ぎてしまう。

スパゲッティの最後の味付けは、島田さんがすると云う。キッチンに立って料理する島田師の姿もカメラに収めた。これも希少なショットであろう。

4人で乾杯する場面は自動シャッターで撮影し、島田師、キ—リー夫人合作の手料理のディナーである。これまた、なかなか体験できない貴重なことであろう。

食後に、キ—リー夫人にマジック・ミュージアムの写真をUSBスティックに入れて持参した映像を見てもらう。夫人は10月29日には来日していないからだ。想像されていたのと違ってマジック・ミュージアムの展示品の多さに驚いたのであろう。ここに島田晴夫コーナーが出来るのは素晴らしいことだと喜んでくれたので私も嬉しかった。

小劇場の平面図を見せて、劇場のネーミングを依頼したら喜んで引き受けてくれた。こけら落しには島田師がマニピュレーションを演じてあげると言ってくれた。これまた感激である。

興奮冷めやらないが、明日の帰国に備えて荷造りをしなければならないので部屋に戻ったのであった。


■2019-02-20-Wednesday ロサンゼルス5

今日はL.Aを離れる日である。

キ—リー夫人は早朝に仕事で出掛ける。私と古谷さんの2人の妻にGODIVAの高級チョコレートの詰め合わせをプレゼントしてくれた。

帯広にも近い内に遊びに来て欲しい旨を伝えると、必ず行きますと返事してくれたし、小劇場の名前は考えておきますとのこと。これも楽しみである。果たしてどんな名称になるのだろうか?

ロス空港の出発時間は昼の12時丁度である。国際線は2時間前までに空港に到着しているのが原則である。島田師に9:00に島田邸を出たいと言うと「空港まで10分だから9:30でも大丈夫ですよ」と言われるが私は心配性なので「早目早目に余裕を持って対応したい」と告げ、9:00に出発する。帰りも空港まで島田師が運転して見送って下さるのである。神様みたいな方に送迎までしてもらうなんて・・・。

駐車場に車を入れて、一緒にカウンターでの手続きに付き合って下さり、出国ゲートまで来てくれて、ここで握手とハグをして別れる。

やっぱり頂点を極めた方と云うのは謙虚で気遣いも素晴らしい。ますます尊敬の念を深める。

この4日間はアッと言う間に過ぎてしまったが、いくらお金を積んだとしても経験出来ないような貴重な経験であった。一生の思い出になった。

出国審査は、入国よりも遥かに楽で早かった。JALのラウンジでゆっくりしようと向かったのだが、ロス空港のラウンジはJAL単独のサクララウンジではなく、数社共同のラウンジであった。場所も狭いし、料理も少ない。それでも食事を済ませてのんびりと時間をつぶす。

搭乗口に近いショップで、トランプ大統領のお面が売っていた。ミュージアムに島田晴夫コーナーを作る時に、ノッペラボーのマネキン人形をいかに島田晴夫と認識させるのかの方法をずっと考えていたのだが、この方法があったか!参考の為に購入しておいた。

帰りの飛行時間は12時間ほども掛る。行きと逆に一日損をすることになるが、飛行機の中で寝てしまうと時差ボケをしてしまうので、頑張って到着までずっと起きていなくてはならない。

機内で5本の映画ビデオを見続けて一睡もせずに起きていたのであった。

成田空港の入国審査も簡素化されていてスムーズに入国出来た。成田空港で国内線の新千歳行きに乗り換えるのだが、空港内をやたらと歩き回らせられる。2kmほども歩いたのではなかろうか?

乗ったのは成田空港発18:45−20:35新千歳空港着の飛行機である。新千歳空港で古谷さんと別れて、彼はJRで札幌に向かう。私は千歳市内のホテルに宿泊する予定だ。

もしも新千歳空港駅発21:16のJRの列車にギリギリ乗れれば帯広駅には23:41に到着出来るのではあるが、冬の北海道の移動は遅れることが多いので、間に合うかどうかと焦るのが嫌なので最初から後泊する予定にしてあったのだ。

千歳市内には飲食店が少ないから、空港で夕食を食べてからホテルに向かおうと考えたのだが、空港内のショップは既に終了してシャッターが降りていたので、そのままタクシーで千歳のホテルに向かう。

21:00にホテルに到着、チェックインして荷物を部屋に置き、すぐにホテル向かいの焼鳥屋に入る。

食べ始めた21:22であった。突然ドド〜ンと地面が突き上がりゴ〜ッツと言う音がして激しく地面が揺れた。地震である。店内の客のスマホから警告音が響く。テレビ画面を見たら厚真町で震度6弱の地震だと云う。千歳は震度5弱。去年9月のあのブラックアウトを思い出した。その時と同じ場所での地震である。

腹が減っていたので、注文品は全部食べ終えてから、ホテルに戻るがエレベータが停止しているので非常階段を登って部屋に戻る。足が攣ってしまった。古谷さんは乗っていた電車が停止してしまい電車内に閉じ込められたと言う。

ホテルでは睡眠導入剤を飲んでグッスリ眠るつもりであったが、余震が起きたら困るので、すぐに脱出出来る用意をして服を着たまま眠る。

結局余震は起きなかったが・・・。


■2019-02-21-Thursday 日付変更

機内で日付けが変わるので

調整のためにブログは休み


■2019-02-22-Friday 地震翌日

朝7:30にロスの島田師から

「ニュースで見ました。地震は大丈夫でしたか?」と私の携帯に電話が入る。心配して気に掛けていただき恐縮ものである。

この心遣いが嬉しいことである。

ホテルのエレベータも復旧していたので、荷物をエレベータで降ろす事が出来た。

千歳駅に行くと、私が乗る予定である列車までの4本が運休との表示がしてあった。その次の列車に変更しようとしたら全席が満席だと言う。まさか3時間も立ったままで帯広まで行くのは身体がつらいから、当初予定の列車よりも2本遅らせて札幌発16:08発の列車にチケットを変更した。

千歳に居ても7時間も時間潰しが出来ない。札幌への電車は運行していたので札幌に行って時間潰しをすることにした。

札幌駅のミスドで朝食を取り、駅ビルのシネコンで映画「マスカレードホテル」を見てから、足裏マッサージを受けて、本屋に行ってと時間をつぶしたのであった。

ようやくの思いで19時に帯広に到着したのであった。

でも考え様によっては、時間が延びただけであり、逆に、列車やエレベータなどに閉じ込められたりしなかった分、ラッキーだったと言えるのかもしれないなぁ〜。


■2019-02-24-Sunday 島田晴夫師から

2月17〜20日まで

ロサンゼルス郊外の島田晴夫師邸にNHK札幌放送局の古谷敏郎アナウンサーと2人で滞在させてもらった。

私が作った日本唯一の「マジック・ミュージアム」に、昨年(2018)10月29日に島田晴夫師がご訪問下さったのだが、その際に、島田師が引退後に使用していた道具、衣装、楽譜、写真、資料に至るまでの全てをご寄贈下さるという申し出があったのである。

今回の滞在目的は、どの様なモノがあるのか、それをどうやって帯広まで送るのか、展示の仕方をどうするのかの参考にする為だ。

島田師のご自宅に泊まり込んでジックリと調べようと云うのである。

資料や写真を見ながら島田さんのお話を聞いている内に、複数部数を所持されているモノを差し上げますと、雑誌やデビュー時の宣材写真やDVDなどをたくさん頂戴したのであった。

古谷さんが、「島田さんが、ラスベガスのリビエラホテルで1988〜93年までの5年間トリを取ったスプラッシュの映像ってありませんか? 私は実際にべガスで拝見していますが、あれは撮影禁止だったから、日本のメディアも所持していないと思うのですよ・・・」と言う。

それを聞いた島田さんが、「そうなんですよ。撮影は禁止だったんですよね。でも最後に、記念に残しておきたいからと劇場に交渉して最後の年の93年12月に1日だけ撮影させてもらったのが有るはずなんですけれど・・・」と言って調べてくれたら、そのDVDが見つかったのである。

すぐに、リビングにあるテレビで映してみたら、ちゃんと映像が映っていたのである。「この映像は、たぶん日本のメディアも持っていないと思いますよ」と島田師が言う。

「これ、差し上げます。」と言われるが、あまりにも貴重過ぎて・・・。

「お預かりして、ダビングして、それからお返しします」と云うことになったのであった。

失くしたりしたら大変である。専門の業者に依頼してダビングすることにしよう。

トロフィーや賞状を飾ってある部屋では、「これらのトロフィーや賞状や記念品なども全て坂本さんのところに贈りますから・・・」とおっしゃるので、ビックリしてしまった。本当に良いのであろうか!

島田晴夫コーナーの展示方法をしっかりと構想しなくては・・・。

島田晴夫師のマジシャンとしての偉大な点は、演目がすべて自分で考案したオリジナル作品であると云うこと。そして、若くして、徒手空拳で海外に出て、苦労しながらも世界ナンバーワンのマジシャンになったと云うことである。日本人のマジシャンでは他にはその様なマジシャンは見当たらない。

わずかに「石田天海」師が海外で活躍された例があるだけだが、それとても松旭斎天勝一座のアメリカ公演で一人(正確には奥さんのおきぬさんと2人)居残ってからの活躍であり、何らの基盤もない状態から、自ら切り開いて勝ち取った例は空前にして絶後である。

その意味で、島田師の苦労には並知れぬ壮絶さがあるのだが、それを私達に楽しそうに語ってくれるところに、後進への想い、マジックへの熱い想いが伝わってくる。

それを任される責任が重大である。

マジック・キャッスルのミュージアムにもひけを取らない展示にして、世界中から見に来てもらいたい。


■2019-02-27-Wednesday 溜まった仕事

ビルの賃貸業というのは

元来、テナントが埋まっている時には、ほとんどすることが無くて暇なのであるが、新しい事業を始め様とすると、かなり忙しくなる。

地階に小劇場を造る計画を推進中であるが、23日の北海道新聞の朝刊にデカデカと記事が載ったものだから、問い合わせが増えて対応が忙しくなっている。

利用する側、建築する側、機材、備品を納入する側からの問い合わせに、私一人が対応しているのであるが、この間、海外出張などもあって24日まで会社に出社していなかったので仕事が溜まってしまったのである。

何せ、ブログを書く暇がなかったほどなのだ。

ロサンゼルス在住の、神様のように尊敬している世界一のマジシャン島田晴夫師の自宅に滞在して、インタヴューしたことを旅行記みたいにサラッとブログに書いておいたのだが、読者の方から、もっと詳しく島田さんのエピソードを知りたいと云うメールが複数入ったのである。

ご要望にはお応えしたいし、ノートにも書き留めてはあるのだが・・・。

まとめて書くことは難しい。少しずつ小出しにして書くことにしようと思う。

忙しいというのは、暇よりもずっと良い。還暦過ぎてワクワクする仕事が出来るのは嬉しいことである。


■2019-02-28-Thursday 変更

島田晴夫師からインタヴューした

内容を書いたが、ここまで詳しく書いたら、公開するには、島田師の了承を得なけれいけないだろうと考えた。

島田師のお話しは、あちらこちらへと飛び回るので、話の時系列をしっかりと検証して、再構築する必要がある。

よって、全文を書きあげてからしっかりと校正をして、それを島田師に見てもらってから公開することに変更した。

楽しみにしてくれている読者には申し訳ないが、掲載はしばらくお休みする。